今一度、ここをまとめておきたいなという思いにいたったというシンプルな動機で書きました。
4強については書く意味を感じなかったので省略。これを見ていただければ、アジア野球のすべてがわかると思います。僕の知りうるものをすべて詰め込みました。Bグループ日本、韓国、台湾、中国をアジアの第一グループと定義した場合に、そこに続く二番目のアジア野球のグループを指す。
Aグループとの差は大きく、水準的には高校野球地区大会の1~3回戦レベルといったところ。○フィリピン日本、韓国、台湾と並んで、アジア野球連盟発足時のメンバー。ならびに、アジア野球選手権初代王者だったりする。つまり、野球の歴史自体はアジアの列強国と同じくらい長く、第二次大戦後までは野球が国技だったとされている。そういう意味も含めて、野球の歴史がだいたい20年ほどのほかのアジアの後進国勢とは一線を画す存在。現在は野球は衰退し、マイナースポーツのひとつに留まっているものの、歴史の長さからくる野球の土壌は築かれておりリトルリーグを中心に競技人口は25000人と言われている。トップレベルの野球は大学野球やクラブチーム、海軍、空軍といったチーム。
2007年から11年まではこれまでのトップレベルの野球とは別の枠組みで「ベースボールフィリピン」というセミプロのリーグ戦が開催されていたが、諸々の理由により現在は休止中である。ナショナルチームの特徴としては、アジアのBグループでは図抜けていると言っていい投手力。特に左投手を多く擁し、ダーウィン・デラカルサダ、ブラディミール・エギア、ジョンジョン・ロブレスなどほとんどが130キロ超級。投手力だけで言えば中心選手は中国代表とそん色ない。一方で守備力と、集中力が切れたときのプレーにかなり難があり、そこがAグループの末尾である中国とも大きく離されている最大の要因といえるだろう。打力も投手力の傑出度と比べると大きく落ちる印象である。スタイルとしてはメジャーリーグの影響が強い。ただ、投手力を中心に総合力はアジアでは中国に続く5番目の椅子をがっちりと確保しているというのは誰もが認めるところ。協会の資金的な問題もあって、国際大会にも参加できないケースが多く、今月のアジア競技大会も参加見送り。経済的な部分が、発展の妨げになっていることは否定できない。スポンサーなど経済的な部分の解決や、ドラスティックな変化を期待するならば、WBC予選ではフィリピン系のメジャーリーガー、マイナーリーガーを大胆に編成に加えて目に見える結果を残す、といったチャレンジも必要かもしれない。きっかけしだいではアジアAグループに近づくことのできる野球の土壌を持っている国だけに「アジア5番目」という立場に留まらない発展に期待したいところである。○パキスタンアジアBグループを牽引する新興国。アジアカップ(アジア選手権の下部大会)を中心に国際大会を積極的に主催し、世代問わずアジアの国際大会には漏らすことなく参戦。スポーツ省からのバックアップも得ており、南アジア地域を巻き込んでの野球の発展に力を入れている。ナショナルチームを支える国内の強豪チームは陸軍と警察の野球部。給料を得ながら野球をやる時間を確保できる環境や、軍人や警官としての身体能力の高さ、規律を持ち合わせているため国内では敵なし。パキスタン代表も多くはこの2チームやWPDAと呼ばれる電力開発公社の野球チーム、つまりほとんどが公務員で構成されている。こういった理由から、アジアBグループでは強豪とされるチームにまで成長。パキスタン球界は更なる野心を燃やしているものの、即興的な強化方法はすでに限界も見えている。まず、野球の裾野があまり広がっていない。陸軍や警察チームの選手は入隊してから野球を選択しているので、要は大人になってから野球を始めた人たち。身体能力や環境から、Bグループでは上位にこれたもののそこから先はさすがに技術的な限界がある。成人より下の年代も積極的に国際大会に参戦しているものの、そちらはなんとか野球をやっている子を集めて結成しているようなイメージであり、同じアジアBグループのチームにもまったく試合にならない。筆者は3年前に18歳以下のアジア選手権でパキスタンの野球を見たが、香港が試合が終わらないのでわざとアウトになっていたくらいだ。満足にフライも取れなかった。ほとんど、トップチームの野球にはこの世代の野球はリンクしていない。国内にもクラブチームなどは数チーム存在してはいるものの、陸軍や警察のチームには歯が立たないのが現状だ。「見るスポーツ」としての普及もほぼなく、こういった部分で裾野を広げていくことが、次のステージに進むには不可欠だろう。指導者も明らかに専門的な知識に乏しいことも課題といえる。ナショナルチームに関しては打力と高い投手力が持ち味。ピッチャーは制球力の高い左腕のムハンマド・ウスマン、横手投げの変則右腕サリーム・ハイダーが長年代表を支えてきた。ここに150キロを計測したイーサン・ウラーが引退で名を連ねていないのが残念だが・・。そのほかにも、81マイルを計測した左腕のアディル・サルダーなど新しい戦力の台頭も見える。ウラーが引退した投手陣同様、打線も多くの中心選手が引退し以前ほどの爆発力はなくなっている印象だ。ただ、身体能力とクリケットの経験をベースにした打力は東南アジア勢にはない鋭さを持つ。守備面はウイークポイントのひとつ。クリケット式の自己流で「素人っぽい」印象は否めず、かなりモーションやメカニクスは独特だ。腰が高く足の運びも投げ方も野球の動きには見えない。状況判断を求められるプレーにも弱い。しなしながら、それなりに打ち取った打球をしっかりアウトにできているのも特徴で、アジアのBグループレベルでは特に問題になっていない。どのような「過程」を踏もうがアウトはすべてアウトである。長年代表を支えてきた主力選手が引退したこともあり、アジア6番目の座をがっちり確保してきたパキスタンとしてはひとつの過渡期。とりあえず代表の世代交代を図り戦力を維持しながらも、代表の強化だけに留まらない野球界全体の底上げに期待したいところである。○タイ日本、韓国、台湾、中国、フィリピンといった国が日本や米国の影響で野球がスタートし100年前後の歴史を数える一方で、それ以外のアジアの国は主に五輪競技に採用されて以降に本格的に普及した新興国ということになる。そんなアジアの野球新興国は多くが日本とのつながりによって支えられているのだが、タイはそういった国々の中でもっとも先輩格であり、模範とされる国とも言える。タイの野球が本格的にスタートしたのは1993年。アジアでの野球の普及に尽力していた当時の日本野球連盟・山本英一郎会長が母校、慶応大学の人脈を通じて連盟設立を働きかけたことから始まる。電気部品メーカーであるミネベア社に勤務し、慶応大学の監督も務めた榊原敏一氏を通じてミネベア社のタイ工場がバックアップ。スポンサーのような立ち位置で現在もタイの野球を支えており、タイの野球を語る上で欠かせない大きな存在だ。
98年のバンコク・アジア大会時に建設されたシリキットスタジアムも、東南アジアでは貴重な野球専用球場としてタイに留まらずアジア野球の発展に大きく貢献している。専用球場の存在や日本企業のバックアップもあり、日本の指導者も定期的に派遣しやすい環境にある。この20年間に絶え間なく日本人指導者がタイの指導に訪れており、2012年のWBC予選からは北九州市立大学の徳永雅雄氏が代表監督を務める。日本人指導者に、企業のバックアップ、専用球場。こういった環境はアジアのBグループでは非常に恵まれた立場にあり、そういった支えもあってタイの野球は守られてきた。ただ、一方で「わかりやすい」進歩がなかなか見えてこないのも実情である。野球の発展というのは難しいもので、目に見えて分かりやすい発展をし続けるというのは非常に難しい。維持するだけでも大変なのに。タイの野球がもっとも強かった時代は、日本育ちのエース白倉キッサダー(亜大→ホンダ鈴鹿)を擁していた2000年代後半。地元の東南アジア競技大会で金メダルを獲得し、IBAFワールドカップ(世界選手権)にも出場。そういった特別なタレントを擁しての躍進は一時的にあったものの、彼が代表を引退して以降は再びアジアBグループ勢の中で停滞しているという印象は変わらない。それなりの指導者がナショナルチームに送り込まれて定期的な指導を行えば、ナショナルチームはある程度の水準には到達する。ただ、そこから先はトップレベルの野球を教えるだけではどうにもできない。裾野としての広がりを見せ、ナショナルチームを頂点としたピラミッドが出来上がることによって野球の水準は上がっていく。タイの野球が変わっていくためには底辺を地道に広げていくほかない。いずれはアジアの野球新興国は必ずぶつかってしまう壁だ。国内の野球はトップレベルの野球はクラブチームによるリーグ戦が開催されている。少年野球チームなども当然存在し、現地の日本人指導者も熱心に指導しているものの、まだまだタイの子供たちにとって野球は選択肢に入ってくるスポーツではなさそうだ。ナショナルチームの水準も高校野球の地区予選1、2回戦相当、といった現在の評価もそういったところとつながってくる。タイ代表の基本的なスタイルはやはり、日本の影響が強く日本のアマチュア的なスタイルの印象だ。ただ、細かい特徴はその時々の日本人監督によって変わってくる。絶対的存在はエースのカモルパン・カンジャナシビット。堂々としたマウンド捌きと、120キロ台のストレート、110キロ台のツーシームやカーブ、チェンジアップといった多彩な変化球を投げ込むスタイルは異質な存在であると同時に、存在感も非常に大きい。2009年のアジア選手権では、長野久義らを擁するアマチュア日本代表打線を相手に最初の3イニングを無失点で切り抜けたこともあるほど。ただ、彼に対する依存度が高く、投手層が薄いのが課題のひとつといえるだろう。守備面・打撃面は、技量はともかく日本人指導者が長年指導してきたであろうというものが感じられる。おそらく、いや間違いなく、タイの野球が今後劇的に変わることはないだろう。地道な発展・継続しかない。しかし、そんな地道な積み上げは、他のアジアBグループの野球にとってもお手本といえるような存在にこれからよりなっていくのではないだろうか。○香港こちらも、アジアBグループを構成する地域のひとつ。他の国々と違って、経済的には発展途上国ではないのでまた違った野球事情を持っている部分もある。国内リーグはしっかりとオーガナイズされており二部制。女子野球も比較的行われている国であり、女子野球の世界大会でも常連国のひとつ。リーグ戦に限らず、協会を中心に組織がしっかりしている印象が強く、世代を問わず国際大会も出られる範囲の国際大会はほとんど出場してくる印象だ。野球の普及に関してはやはり、野球のできる場所が限られている部分が課題とされている。ナショナルチームは現在世代交代中。これまでの香港野球を支えてきた世代は大半が退き、非常に若いメンバー構成になっているが、もともと仕事と野球の両立が難しく若いメンバー構成になりがちという側面もある。ベストメンバーといえる布陣が組める機会も少なく、学生や十代の選手が多いのも特色のひとつである。選手の質はこのレベルの中では比較的高く、特に世代交代前の代表はタレント力はBグループではフィリピンと並ぶ屈指の陣容をそろえていた。ただ、前述したような必ずしもベストメンバーが組めないという事情や、東南アジアや南アジア勢の気持ちの入った野球に押され勝負弱いといった部分が、タレント力に伴った実績を残すことができなかった理由ではないかと思われる。香港の絶対的エースと呼べる存在が梁宇聰。130キロ代の速球にカーブやフォークといった球種をあやつる制球力を兼ね備えた投球はアジアBグループを超越していた。近年は肘の故障で万全の投球ができていると言い難いが、彼のピッチング次第では大きなチャンスが広がっているといえるだろう。打撃面でも、スピードのある選手や、パワーヒッター、小技を得意とする選手など個性豊かな面々がそろう。他の発展途上国の選手などと比べると、ネットなどでトップレベルの野球を見る機会が選手は多いと思われるが、そういった影響もあってか、選手の動きやフォーム、チームを構成する選手のタイプなどはまるで日本や台湾の野球チームのような印象である。マイナースポーツであるために環境的に十分とは言いがたいものの、協会がオーガナイズされており、予算を使って計画的な活動ができるという発展途上国にはない強みもある。そういったアドバンテージを生かして、まずはアジアBグループの頂点を目指して行きたい。○インドネシア邦人を中心として普及し、90年代後半あたりから国際大会でも見られるようになる。早い段階でアジアのBランクにまで登りつめ、03年に札幌ドームで行われたアジア選手権ではフィリピンを倒したという実績も。インドネシア野球の大きな転換期となったのは07年。バリを拠点に野球を教えていた野中寿人監督が代表監督に就任。日大三高時代は甲子園にも出場した実績を持つ野中監督の情熱的な指導により、この時期のインドネシア代表は最盛期を迎える。特に09年はパキスタンを下してアジアカップ初優勝。同年7月には成田で行われたアジア選手権にも出場。アジア選手権では長野久義らを擁する日本代表とも対戦した。しかし、一方で野中監督はナショナルチームだけなくインドネシア球界そのものの底上げの重要さを実感し、2010年に代表監督を辞任。その後は地方州の監督や少年野球の発展などに関わっている。代表チームは野中監督辞任後、資金的な問題で国際大会にもほとんど出場できない状況が続いていた。野中監督時代のインドネシア代表に対する印象は「粘り強さ」だ。個の力ではフィリピンや香港、パキスタンといった国には多少劣っていたのかもしれない。ただ泥臭く、そして豊富な練習量に裏打ちされた接戦を制するスタイルで09年はアジアカップを制覇。筆者は09年のアジア選手権でインドネシア代表を拝見させてもらっているが、日本代表の投手相手にバントを決めきる技術や、日本代表の猛攻に対しても大きく破綻しなかった守備力には本当に感心した記憶がある。国内の野球はクラブチームによる各地域での大会のほか、州別対抗で戦う国民体育大会が主な野球の国内大会と言えそうである。野中監督は今年、インドネシア代表監督に再登板する。しかし、ただ代表チームを強化するだけではなく、目指すのはインドネシア野球の土台作り。指導者の育成を中心にインドネシア人だけで持続可能なチームに育てあげることが、今回の任期中の野中監督の最大のミッションである。一度代表監督をやったからこそ、ただトップレベルの野球を教えるだけではインドネシア野球の未来はないと実感しているのだろう。
11月、インドネシア代表はフィリピンで開催されるアジアカップへの出場を目指している。ここから始まる「第二次野中政権」はきっと、後年インドネシア野球を振り返ったとき大きなターニングポイントになっているのではないだろうか。○スリランカもっとも最近このランクまで上がってきたといえる国のひとつ。ここまで発展してきた過程を語る上で、やはり日本とのつながりは絶対に欠かせない要素といえるだろう。
80年代にはすでに野球自体はスリランカにはあったものの、本格的な普及が始まったのは02年に日本の青年海外協力隊から日本人指導者が野球隊員として派遣されるようになってから。以後4代にわたってスリランカには日本人の方が送り込まれてきた。肩書きはスリランカ代表監督だったのかもしれないが、10年以上にわたって彼らは単なる野球の技術指導だけに留まらず、スリランカ野球全体の発展に貢献。現在は高校、大学、クラブチームのチーム数は拡大し、裾野はかなり広がってきている。最近は軍隊に野球チームができるなど、社会人でも野球を続けられる環境も整備されつつある。
4代で日本人の代表監督をJICAから送り込むことを終了し、スリランカ野球が「自立」したこともそういった発展の象徴といえるのではないだろうか。筆者は大学や高校のスリランカ代表を日本で見たことがあるが、非常に気持ちの入った野球を見せていた印象だ。正直言うと見た目は「格好良くなかった」のかもしれない。ただ、格好は不細工でもがむしゃらなプレーはスリランカ野球のすべてを表していたように感じる。守備は内野手でもひざをついてでも体で止めるようなスタイル。ピッチャーはおおよそ110-120キロ台。成人のナショナルチームだと130キロ近い球を投げる投手もいるだろう。上手投げと横手や下手投げを使い分ける、変則投手が多いことも特徴だといえそうだ。裾野は広がり、スピード感のある発展をしてきたとはいえ、まだまだスリランカにおいて野球はマイナースポーツ。道具も不足しており、環境は十分とはいえない。しかし、ここまで地道にやってきたからこその財産もある。スリランカで高校時代に野球に出会い、現在は日本で働きながらアマチュア野球の審判、さらにはスリランカ野球の広報のような役割を果たしているスジーワ・ウィジャヤナーナカさんのような方もそのひとつだろう。昨年はついに、スリランカ初の野球専用球場も誕生し、国際大会の開催も目指している。自立を成し遂げ、自分の足で歩み始めたスリランカ野球がどのような道をたどっていくのか。スリランカ野球の今後に注目したい。ここまでがアジアの第二勢力(=Bグループの6カ国)ここから先は第三集団(=Cグループ)になります。
Bと比べると格下の国になります。BとCが対戦すればコールドゲームになるような実力差。
Cの中でも格差はあるのですが、ここでは第三集団としてひとくくりにしたいと思います。○シンガポールマレーシアやインドネシアなど他の東南アジア勢にも同じ特徴が見られるが、ソフトボールのほうが普及しており、野球との線引きが結構あいまいだったりする。シンガポールは特にそういった要素が多いんじゃなかろうか。両方兼任してる選手も多いと思われる。この国の野球を語る上で欠かせない人物が一人。社会人野球の強豪、松下電器でもプレーしていた内田秀之氏。松下電器のシンガポール法人に勤務していたこともありシンガポール野球の発展にも貢献してきた。現在シンガポール野球連盟の理事やナショナルチームの監督を務められている。シンガポールは東南アジア内でもメダル圏内とはいえない位置づけなこともあって政府からも支援が得られず、予算の問題で五輪予選を除いて国際大会には参加できないケースがほとんどだったが、2015年に東南アジア競技大会の地元開催が決まっており、それに向けてアジアカップなど国際大会に参加するケースが増えてきた模様。2012年のアジアカップでは、フィリピン、タイ、インドネシアの東南アジア3強に続く4番目というポジションを守っていたミャンマーに勝利するなど、着実にその成果は見せている○ミャンマーミャンマー野球は、国連職員としてミャンマーに赴任した岩崎亨氏が、目標がなく麻薬に手を染めるミャンマーの青少年に打ち込むものを持ってもらうべく野球の普及を始めたことをきっかけに発展してきた。以後、岩崎さんを中心に日本の支援でミャンマー野球は支えられてきている。現在の野球人口は50人ほどで、当初はナショナルチームしか継続的に野球をやっているチームはなかったものの、現在はクラブチームも数チームになり大会も開催されている。ミャンマー野球の希望といえる存在が、四国アイランドリーグプラス・香川オリーブガイナーズに所属するミャンマー出身左腕、ゾーゾー・ウー投手。球速は来日当初は120キロ台だったものの、現在は10キロ以上増しているという。ナショナルチームは2005年の東南アジア競技大会にて初参戦。なかなか、タイ、インドネシア、フィリピンの三強の壁は破れないでいるものの、シンガポールやカンボジアとともに三強に続く存在として東南アジアの野球を盛り上げている。○カンボジア
2006年に連盟が設立された、東南アジア内でも比較的新しく野球が始められた国。クラブチームなどが数チーム存在する。日本の青年海外協力隊からの派遣や、ベトナムで野球を教えていた西村重明氏がベトナムから指導に当たっている。また、韓国からの支援により野球専用球場の設立されている。国際大会では、東南アジア競技大会やアジアカップには散発的に参戦。
2009年のアジアカップでは、マレーシアと7位決定戦を行い勝利している。○ベトナム国際野球連盟及び、アジア野球連盟未加盟。社会主義国の体制上、民間で勝手に連盟を作ることができない。それに変わるような事実上の連盟は存在してはいるけども。未加盟とはいえ、野球は継続的に行われている。現地在住の日本人がここ数年はトップレベルの野球を指導してきたが、現在はアジア野球連盟から派遣されてきた韓国人指導者がそれに変わって実権を握っている模様。他にはこれも数年前から在ベトナムアメリカ人主導でポニーリーグなども設立されていて、世界大会の予選などにも出場実績が。クラブチームによるベトナム選手権も外国人を中心に開催されている。ナショナルチームは連盟未加盟のためアジアカップなどには出場できないが、2011年にインドネシアで開催された東南アジア競技大会に国際大会初出場。東南アジア3強の壁は厚かったものの、マレーシアから初勝利を挙げている。裾野の広がりを伺う限り、3強にもっとも近づく可能性を持った国ではなかろうか。○ネパールネパールの野球も日本との繋がりを軸に野球を発展させてきた国のひとつ。ただ、ほかの国のケースとは少し毛色が違うかもしれない。ネパールの野球は「ラリグラスの会」という団体とともに発展してきた。どうしても「野球の普及」となると、競技としての野球の普及をイメージしてしまうが、ラリグラスの会の場合はネパール人同士やネパール人と日本人の交流をするツールとして野球の楽しさを伝えてきたというのが基本的なコンセプト。「楽しさ」に基づいた野球の発展はもっとも原始的なやり方であり、そしてもっともふさわしいやり方なのかもしれない。10年以上の歴史を経て、ネパール野球は日本の独立リーグでプレーしたのイッソー・タパの輩出や初の国際大会への参戦など、着実な歩みを見せてきた。しかし、基本的な理念は変わっていない。目標はあくまで、「野球から始まる笑顔」をネパールに広めること。国際大会の出場もその目標を実現するための過程の一つという解釈だ。国際大会の初出場は2011年の南アジア選手権。パキスタンで行われたパンジャブインターナショナル・スポーツ・フェスティバルではアフガニスタンを下し国際大会初勝利を飾っている。野球から始まる笑顔が増えていくこと。それがこれからもネパールの野球の発展を示す一つのバロメーターになっていくのではないだろうか。○マレーシア東南アジアでは、3強の壁に長らく跳ね返され続けているのがマレーシア。なかなか小中学生から野球を始められるような環境が整備されておらず、野球専用の球場もないなど、東南アジアの中でも環境が整っていない。こういった部分が、ナショナルチームとしての実力差にも反映されているようだ。現地ではマレーシア在住の坂本博文氏がクラブチームやナショナルチームのコーチとしてマレーシア野球にかかわっている。
2011年のインドネシアで開催された東南アジア競技大会では日本のアマチュア野球連盟がマレーシア連盟の依頼を受け、東大野球部OBの佐藤健氏が派遣されたこともある。東南アジア大会ではベトナムに国際大会初勝利を許すなど、東南アジアの下位グループの中でも苦しい戦いが続いているが、やはり地道に野球の環境を少しでも耕していくことが必要なことなのではないかと思われる。東南アジア野球全体が底上げされる意味でも、マレーシア野球の今後に期待したい。○インド実力的にはBグループに達しているだろうと思われる国。ただ、15年間成人代表は国際大会に参加できてない。理由はパキスタンとの政治的な問題でビザが下りなかったり、連盟の会長の方針だったりといった部分らしい。アジアのマイナー国の中では野球の裾野はしっかりしている印象で、現在は全部で28ある州のうち22が野球連盟を持っている。年代別の野球の大会も整備されているのも特徴だ。特に年代別の野球は、クリケットなど他競技と兼任するような形で普及しており、2011年のU15アジア選手権では日本を破る大金星を成し遂げている。ただ、野球を続けられる環境が学生までしかないという、ほかのアジアの後進国同様の課題をインドも抱えているようだ。
22の連盟の統率もされており、国内最大の大会は州別で戦う国内選手権。ナショナルチームも各連盟からの推薦を基にした編成である。クリケットのテイストがかなり入った独特な動きをするものの、身体能力は高く、エース投手は130キロを計測するらしい。なかなか野球の先進国から指導を受ける機会が少なかった分、おそらく指導者の水準は高くない。逆に言えば伸びしろがあるともいえるけども。選手や指導者の学習意欲は高いらしく、野球の裾野も広がっている分、野球先進国の指導者が教える機会があればそれを生かしきれる土壌があるのではないだろうか。もしそういう機会が訪れることがあるならば、の話だけど・・○イラン
1989年に野球連盟が発足し、92年にIBAFに加盟。比較的アジアの中では歴史はあるものの、現在の立ち位置は以前アジアの第三勢力の中に留まっている。国内の野球はテヘランにあるイラン野球連盟をトップに14都市に野球協会が置かれている。その中で、実質活動を続けており国内大会に参加しているチームは10チーム。野球人口は500人程度とのこと。国内リーグは北と南の地区に分かれているらしい。国際大会では99年のアジアカップが初参戦。もっとも最近参加した国際大会では、2012年の西アジアカップに出場。スリランカとパキスタンにコールドで敗れるも、アフガニスタンに勝利。現在のイラン野球のポジションを反映したような結果といえるだろう。しかしながら、風向きは変わりつつある。今年からイラン野球連盟と正式にユース世代の代表監督として契約を結んだ色川冬馬氏が就任。連盟としてもユース世代の強化に力を入れていくという方針を打ち出しており、米独立リーグやメキシコ、プエルトリコなどでのプレー経験も持つ若い色川氏の着任は、今後のイラン野球の基礎を築いていく上で絶好のタイミングといえるだろう。もともと欧米的なスポーツ文化を持っている国なだけに、彼のような指導者の経験をしっかり生かしていくことが出来れば、少なくともそう遠くない将来にアジアBグループの仲間入りが出来るのではないだろうか・・と筆者はひそかに期待してるのだが・・・○アフガニスタン南アジア全体での野球の発展を目指すパキスタン連盟の協力もあって2011年にアジア野球に加盟。二度、国際大会ではネパールから勝利を挙げている。急速に普及は進んでいるらしく、現在30チーム以上あるとか。ナショナルチームにはクリケットの選手もおり、130キロ以上を計測する選手もいるらしい。ただ、パキスタンに30点以上失点するなど守備がもろく、まだまだ野球としての形になっていない印象だ。指導者次第では、大きな発展の可能性を秘めている国ではないだろうか。○北朝鮮
1993年のアジア野球選手権が唯一の国際大会出場。フィリピンから勝利を挙げている。キューバやソ連などとも交流があったようで、現在も国内でも平壌で野球は行われており、それなりの水準は保っていると思われるが、国の体制上指導者の派遣や国際大会の参加は厳しい。アジア野球連盟は現在北朝鮮の連盟と長年連絡すらつかない状態とのこと。他の競技だったら絶対除名されてる。○ブルネイ名前があるだけの幽霊部員である。国際大会の参加実績はなく、国内で野球をやってるという話はきかないが、ソフトボールをやっている人はいるみたい○カザフスタン国際大会には出たことがない幽霊部員二号。国内の野球もうかがい知る事は出来ない。野球がまったく存在しないことはないはずだけれども。おそらく、ソ連崩壊前後はもっと盛んに行われていたんじゃないだろうか。○ウズベキスタンアジア野球連盟に加盟したのは1999年、国際大会に参加したのはアテネ予選の2001年に行われたアジアカップのみ。マレーシア代表には完勝だったらしいが、Bグループ勢には歯が立たず。当時のコーチによると、旧ソ連時代には野球リーグがあり、ある程度の試合数はこなせたもののソ連崩壊後はリーグが無くなって試合をする機会が激減したらしい。その後は国際大会には一切参加していない。○モンゴルちょくちょく国際大会にも出場。ただ、すべての出場大会が他種目競技大会(94広島アジア大会、10広州アジア大会、13天津東アジア競技大会)であり、野球単独の大会には出たことがない。今月の仁川アジア大会にも出場予定であるが、今回でしばらく国際大会からは遠ざかると思われる。ナショナルチームは継続的に野球の練習に参加できてる選手をすべて集めてやっと編成できるといった具合であり、対戦相手は「試合を終わらせることが大変だった」というレベル。フライも満足にアウトにできない水準である。
JICAなどから指導者も派遣されてきてはいるものの、まずはそういった方々を生かせるような土台を作ることが第一歩なのではないかと思われる。○イラク国際大会出場経験はなし。何度かアジアカップに出場しようとしたことがあるが辞退している。
2010年にアジア野球連盟に加盟した新しい国。国内には同好会レベルながらも19チームあるらしく、昨年は香港国際オープンという国際大会にも参加予定だった。近い将来、アジアカップには出てくるのではないだろうか。
↧