リュ・ヒョンジン(柳賢振)英語表記:Hyun-Jin Ryuハングル表記:류현진
1987年3月25日生左投右打現所属:LAドジャース(MLB)旧所属:ハンファイーグルス(~2012)○主要国際大会出場経歴ドーハアジア競技大会(06)北京五輪(08)第2回ワールド・ベースボール・クラシック(09)広州アジア競技大会(10)○KBO主要獲得タイトル最優秀防御率(06・10)最多勝(06)最多奪三振(06・07・09・10・12)棒グラフの色が薄い年は主要国際大会(WBC・五輪・アジア競技大会)に出場していることを表す防御率とWHIPは上に行く程優秀であることを表す〈参考〉2005~2013年のKBO投手平均成績日本の学校制度だと87年早生まれになるので、ダルビッシュらと同じ世代に該当する韓国人ナンバーワン左腕。但し当時の韓国の制度では原則として3月生まれのリュ・ヒョンジンは早生まれにならず(※1)、高校卒業が日本のダルビッシュの世代より11ヶ月後となり、2006年にプロデビュー。高校2年生時にトミー・ジョン手術を受けていたが、プロ1年目から先発としてフル回転し約200イニングを投げ、投手三冠+MVP・新人王獲得という鮮烈なデビューを飾った。ドーハアジア競技大会では不本意な内容に終わったが、以後国際大会に中心選手として出場しながらハンファのエースとして活躍。投手力が低いチーム事情により酷使された(※2)ことが影響してか、2011年はプロ入り後初めて規定投球回に到達しなかったが、翌2012年には最多奪三振を獲得し復活。オフにポスティング制度でMLBのLAドジャースに移籍し、2013年にはMLBキャリアにおける順調な滑り出しを見せた。
KBO時代の成績では奪三振能力などが際立っているが、MLBで一年目から活躍できた要因としてイニング消化能力の高さも注目される。また、7年間の通算RSAAが208.74であることは、リーグの中で突出して結果を残した選手であったことを物語っている(※3)。※1 当時は3月1日生まれから学校の入学年が変わる制度であった。尚、2009年小学校入学生以降は1月1日生まれから学校の入学年が変わる制度に変更となり、その年の小学校入学生以降は早生まれの概念自体が消失した。※2 たとえば、リュ・ヒョンジンが防御率1.82で最優秀防御率を獲得した2010年のハンファの防御率は5.43(リュ・ヒョンジンを含む)。投手力が大きく低下した2009年以降、ハンファの順位は8位、8位、6位、8位、9位と低迷している。KBOは試合数がNPBよりもやや少なく、KBOで最後に200投球回を達成した韓国人は2007年のリュ・ヒョンジン。※3 参考までに、KBOの代表的右腕であるユン・ソンミン(尹錫珉)の通算RSAA(9年間)は122.49。ちなみに2010年のRSAAが異様に高いのはこの年が打高投低であったため。リーグ防御率4.60、リーグ失点率5.03に対してリュ・ヒョンジンの失点率は1.96。
KBO時代成績→KBO引退選手個人成績
MLB成績→MLB.com
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