Quantcast
Channel: 野球:海外/独立リーグ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1963

【韓国野球】第1回WBC参加投手の現在

$
0
0
世界各国の野球選手が集結する野球国別対抗戦WBC。昨年2013年には遂に第3回大会が開催されました。ところで皆さん、第1回WBC(2006年)の日本代表選手を何人覚えていますか?(投手に関してはこの記事の一番最後に解答を書いています。)いかがでしょうか?言われると「あ~、そうだった」となるのですが、意外と思い出せないものです。自国の代表ですら思い出すのが困難ですから、他の国の選手なんてすっかり忘れていると思います。大会直前は急に各国の選手の情報が飛び交うのですが、大会が終わるや、パタッと話を聞かなくなります。そして再び話題に出るのは次の国際大会の直前。放送で「前回大会にも出場していました」と言われて「そういや聞いたことある気がする」「あれ、こんなのいたっけ…」と、テレビに向かってつぶやいた方もいるのではないでしょうか。そこで今回は敢えて第1回WBCの韓国代表投手が現在までどのような成績を残してきたか振り返ってみたいと思います。まずは代表に選ばれた投手と現在の所属チームを見てみましょう。([ ]内は生まれ年。※は大会当時MLB所属の選手)名前をクリックするとKBOでの成績の推移と現在の年俸を見ることができます。 KBO在籍が短いパク・チャノとキム・ビョンヒョン以外は2003年以降の成績推移をグラフにしてみました。海外リーグに所属している時期の成績は表やグラフにしていません。ク・デソン(具臺晟)[69]シドニーブルーソックス(ABL)※キム・ビョンヒョン(金炳賢)[79]ネクセンヒーローズ※キム・ソヌ(金善宇)[77]LGツインズ※パク・チャノ(朴贊浩)[73]現役引退ペ・ヨンス(裵英洙)[81]サムソンライオンズ※ポン・ジュングン(奉重根)[80]LGツインズ※ソ・ジェウン(徐在應)[77]KIAタイガーズソン・ミナン(孫敏漢)[75]NCダイノスオ・スンファン(吳昇桓)[82]阪神タイガース(NPB)チョン・ビョンドゥ(全炳斗)[84]SKワイバーンズチョン・デヒョン(鄭大鉉)[78]ロッテジャイアンツチョン・ジェフン(鄭載勳)[80]トゥサンベアーズク・デソンはWBCの大会エントリー時にはハンファとの契約が交わされていなかったので厳密には「前ニューヨークメッツ」ですが、WBC開幕時点ではハンファとの契約を完了していました。第1回WBC韓国代表の投手は海外組が多かったのも特徴のひとつです。なお当時MLBに所属していた代表選手も後に全員KBOに一度は所属することとなります。今季阪神タイガースに加入したオ・スンファン、2010年にKBOを引退してオーストラリアのシドニーブルーソックスに移籍したク・デソン、そして2012年をもって引退したパク・チャノ(パク・チャンホ)を除けば現在も韓国でプロとして野球を続けています。ク・デソンはまだオーストラリアで野球を続けているので、第1回WBC出場投手で現役を退いたのは実はパク・チャノだけです。なお、ドーピングに引っかかったため最終的にエントリーを外れたパク・ミョンファン(朴明桓)も2012年オフにLGを解雇されていましたが、NCの入団テストに合格して2014年シーズンからの現役復帰が決まっています。第1回WBC韓国代表選手のうち当時からKBOに所属していた選手で安定して活躍し続けているのはオ・スンファン、そしてチョン・デヒョンくらいしでしょうか。ペ・ヨンスの場合は2013年に最多勝を獲得している一方で、怪我に泣かされ2007年は出場無し、その後も大きく成績を落としています。しかし故障歴を持ちながらも全選手が現役を続けている点は注目されます。例えばチョン・ビョンドゥの場合、WBC後なかなか才能が開花できずにいましたが、活躍する2009年まで解雇されず、ここ2年間は怪我などで1軍登板がない状態でも契約を結ぶことができました。トレードされながらも2009年まで待ってもらえてチャンスも与えられたのは、そこそこ若い左投手という希少価値だけでなく、韓国がWBCベスト4になったにことよって兵役を免除されたこととも無関係ではないように思います。怪我を負っても現役を続けている選手がいることは、当時MLBに所属していて、後に帰国した選手にも言えることで、トミー・ジョン手術を受けたポン・ジュングンは抑えに転向して未だに活躍しています。2013年は55試合に登板し防御率1.33に抑えました。但し第1回WBCに参加した元MLB所属選手が韓国帰国後すぐに活躍している訳ではなく、帰国初年は大体成績を残していません。またソ・ジェウンは活躍した翌年に成績を落とし、キム・ソヌは活躍期間が短いという具合になっています。元々の能力が高いので活躍する年は大活躍しているのですが、全盛期を過ぎているため複数年調子を維持するのが難しいようです。 NPBを経て帰国したキム・ビョンヒョンやパク・チャノは期待に応えることができず、パク・チャノは帰国翌年に引退しています。以上、第1回WBC参加投手を振り返ってみたところ、引退選手はパク・チャノだけである一方、第一線で活躍し続けている投手は少ないということが確認されました。2000年代後半の韓国野球を牽引した投手はむしろ同じ2006年のシーズン終了後に開催されたアジア競技大会のメンバーの方に含まれているように思います。次回はその2006年アジア競技大会代表投手の成績を振り返ってみたいと思います。ちなみに、冒頭の質問の解答。第1回WBCの日本代表メンバーと生まれ年を挙げると次のようになります。日本代表の場合、第1回当時のMLB所属選手は投手では大塚晶則のみでした。現在既に引退した選手が複数いる点、2000年代後半を代表するような投手もそこそこ含まれている点でも韓国代表と異なっています。[ ]内の数字は生まれ年。石井弘寿[77](→馬原孝浩[81])/上原浩治[75]/大塚晶則[72]/久保田智之[81]/小林宏之[78]/清水直行[75]/杉内俊哉[80]/藤川球児[80]/藤田宗一[72]/松坂大輔[80]/薮田安彦[73]/和田毅[81]/渡辺俊介[76]

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1963

Trending Articles