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Channel: 野球:海外/独立リーグ
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メキシコ・ベラクルス州リーグをゆく 2

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 雑然とした町を歩いて行くと、町の中心の広場の横にチームの宿舎になっているホテルがあった。田舎町の中規模ホテルだがそれでもこの町一番のホテルのようで、星が4つ付いている。フロントでフランキーの名を告げ、そいつは野球チームの人間だと言ったが、団体で入っているらしく、各個人の部屋まではわからないようだった。ちょうどエレベーターからユニフォーム姿の男が出てきたので、フランキーの名と取材に来た旨告げると、そのコーチらしき男はフロントの女性に部屋番号を告げた。 ユニフォーム姿のフランキー・リベラが現れたのは間もなくのことだった。顔を合わせるや否や、「さあ行こう」とホテル前に停まっていたバンに私を案内した。車の周りには同じくユニフォーム姿の若い男たちが陣取っていた。 バン2台に、自家用車が3台。これが一同の足のようだ。ただし、対戦相手のトビスのユニフォームを着た初老の男もいたので、自家用車の何台かは彼らのもののようだ。ホームチームの首脳陣は、シーズン中はこのホテルに住んでいるようだ。 私は10年ほど前、メキシカンリーグの冬のマイナーリーグを取材したことがある。この時ビジターチームは日をまたいだナイトゲームのあと、チームバスに乗って200キロほど離れたホームタウンに戻り、おそらく宿舎ではほどんど横になることもなく、翌日また同じ町に遠征に出かけていたが、ベテラン選手も多いこの独立リーグでは、連戦の際はホテルを使うようだ。このアカユカンから彼らの住むベラクルスまでも200キロほどだが、このミニバンではたしかにぐっすり眠ることもできない。 ミニバンは野球道具などでほとんどスペースがない。それでも空席に座らせてもらった。車が出てしばらくすると、チョコレートのかかったビスケットが回ってきて、フランキーが「朝飯だ」と言ってきた。ホテルにレストランがあったが、一行がここを使った様子がないので、朝食はどうするのだろうと思っていたが、これが朝食なのか。 と思ったが、さすがにそうではなく、その直後に車は安食堂前で停まった。ここで朝食のようだ。 案内されたテーブルにはトルテージャとパンが並んでいた。これにフルーツとメイン、それにジュースが付く。メインは黒豆のペースト状の煮物、フリホーレスにハムか豚肉ミンチのスクランブルエッグが付く。ジュースはハマイカという花、オレンジ、パインから選ぶ。かなりのボリュームだが、選手たちは次々と平らげていく。 そのうち、オーナーのバスケス氏がやってきた。白いシャツ一枚で登場したその姿は。いかにもメキシコの中小企業の社長といった感じで、堂々たる体躯である。彼を私に紹介してくれたフランキーは「スモウレスラーみたいだろ」を笑った。バスケス氏は、一同の朝食代4千数百ペソ(2万5000円ほど)を支払いながら、今シーズンここに来るのも最後と、一同のサインボールを食堂の女主人に手渡していた。ここベラクルス州では、一番の大都市、ベラクルスではサッカー人気が野球人気を上回っているらしいが、田舎では野球の方が人気スポーツらしい。女主人は、サインボールにたいそう喜んでいた。 食事が終わって、フランキーやコーチ陣、オーナーがゆっくりコーヒーを飲んでいる間、選手たちは車の周りでスマホをいじっていた。そのうちのひとりに声をかけると、ドミニカからやってきたという。チームには数名外国人選手もおり、ドミニカやベネズエラ、キューバからこのリーグに参加している。彼らにはエージェントなどついてはおらず、半ば家族・友達経営のこのリーグには、それまでプレーしてきたチームのつてを頼ってやってくる。 再び車に乗り込み、15分ほど走ると、郊外の町オルタにあるこの日の試合会場、エリミアーノ・サパタ球場に着いた。一見ただの運動場にみえる球場。それもそのはずで、外野には全くふくらみがない。他の競技にも利用できるようにしているのだろう。入り口は右中間にあり、ここからフィールドに入って両チームともベンチに向かう。ベンチ裏からも外には出ることができるが、こちらはガタガタの路地になっている。 試合2時間前とあって、球場には関係者しかいなかった。それでも、すでに客を迎える準備はできており、周囲に駐車する車に女性が15ペソ(80円)なりのチケットを売りに来る。外野スタンドにはすでにスナック売りの屋台が店を出していた。 ちなみにハラパ球団の入場料は40ペソ(250円)。正直これでは黒字はだせないだろう。オーナーたちは地元の中小企業の社長で、決して豊かではないこの国の田舎にあってはある種の成功者だ。彼らは半ば私財を投げ打ち、野球を通じて町の人々に週末の娯楽を提供している。 すでにフィールドでは、ホームチームのトビス(小さな犬の意)の一同がおり、ティーバッティングなどの練習をしていた。フリーバッティングやシートノックというようなことはせず彼らは試合に臨む。彼らに与えられたスペースは、ベンチとその裏にあるロッカールームとも言い難い薄暗いスペースのみ。(サパタ球場の3塁側ブルペン)むろんシャワーなどはない。ブルペンは、スタンド奥の土手の上がそうらしく、客席から簡単に降りていけるこのスペースには試合中も投球練習を行うピッチャーのすぐそばで子どもが走り回っているという風景が見られた。このリーグでかつてプレーした、元ロッテの小林亮寛氏は、フィールドが傾いていた球場もあったと言っていたが、なるほどそれもあるだろうと納得できる。プロとしてはかなり過酷な環境だが、そんなことなど気にする風もなく、選手たちは試合に備えていた。 そのうち、そのベンチ裏の入り口、1塁側から大量のビールや飲料が運ばれていた。入場料が格安な分、これで稼がねばならないのだろう。といっても、このリーグにはいまだ近代的なプロスポーツ経営など存在せず、いわば、成功者が地元に還元すべく野球の見世物興行を行っている印象だった。そこにあるのは、極めて原初的なプロ野球のかたちだ。この飲料も試合後は、余った分が両チームのスタッフに振舞われていた。

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