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Channel: 野球:海外/独立リーグ
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現役にこだわる男たち(1)

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引退を経て昨年2164日振りに1軍のマウンドに戻ってきた男がいた。 2001年最多勝・最高勝率投手のシン・ユノ。39歳で巡ってきた3619日振りの先発登板であった。最多勝を獲得した翌年以降は2008年までの7年間で合計11勝しか上乗せできず、肘の故障もあってプロのグラウンドを去ることとなった。通算成績は28勝20敗28セーブ。このうち15勝と18セーブは2001年のたった1年で上げたものだった。止まっていた時計が再び動き出したのは2013年のことだった。それまで兄が運営する会社で働いたり野球教室を開いたり、あるいは社会人野球に参加したりして過ごしていた彼は突如として新生球団であるktの入団テストを受けた。ktは2015年から1軍に参入することが決まっていた。――結果は不合格。それでも今度は現役生活最後の1年を過ごしたSKの入団テストを受け、見事合格した。入団こそできたもののSKでは2軍で過ごす日々が続いていた。ところが2軍のシーズン終盤に差し掛かった8月の終わり頃、1軍KIA戦での先発を彼は突然告げられた。球団が彼に与えた数少ない機会であり、先発4番手以降が決まらないチーム事情への僅かばかりの希望でもあった。そして迎えた8月31日の試合当日、彼は引退後5年以上の想いを胸にマウンドに立った。 1回表、SKはチェ・ジョンのソロ本塁打で幸先良く先制した。味方の援護に応えたいシン・ユノであったがストライクが入らない。連続四球を与えピンチを招いてしまう。2人に投じた9球中ストライクは1球のみ。この回は何とか凌ぐも、味方打線が1点を加えて迎えた2回裏、2人目の打者に許したソロ本塁打とその後の3連打で2点を失いリードを守れず、この回を投げきって降板。チームは勝利したが、シン・ユノにとっては悔いの残る投球内容となった。だが、結果的に彼が現役にこだわる一番の目的は果たせたのかもしれない。試合当日、スタンドには中学生になる息子がいた。観戦に来るなという父の言いつけを破ってのことであった。シン・ユノが最多勝を獲得した2001年の短くも太い輝きを息子は直接目にしていない。いくら球史に名を刻んでいても、父の影響で息子が野球を始めたとき、父はもう現役のプロ野球選手ではないという現実しかなかった。久しぶりの大舞台、格好良い姿を見せることはできなかった。しかし5000人の観衆の前で名の知られたプロの打者を相手にする父の投球は息子の脳裏に焼き付いたであろう。本当に自分の父はプロ野球選手だったのかという疑念を晴らし、それまで実感の無かったかつての父の栄光を実像として垣間見た瞬間だったかもしれない。現在シン・ユノは野球教室の縁で一般企業への就職を果たし、マグロの流通販売に関わる会社で営業担当をしているという。「無賃労働でも良いからあと1年プレーがしたい」引退後、記者にそのように答えるシン・ユノの言葉は半ば本心、半ば冗談といったところであろうか。野球に関してのみ言えば、1年だけの現役復帰を経て、大切な人のためのモチベーションは自分の人生のためのモチベーションへと変わったようである。だが2度目の引退後に企業への就職の道を選んだ彼の心は守るべき人をいつも一番大事に考えているように見える。☆参考記事 http://sports.news.naver.com/sports/index.nhn?category=kbo&ctg=news&mod=read&office_id=241&article_id=0002246977 http://sports.news.naver.com/sports/index.nhn?category=kbo&ctg=news&mod=read&office_id=241&article_id=0002294475 http://sports.news.naver.com/sports/index.nhn?category=kbo&ctg=news&mod=read&office_id=111&article_id=0000414821

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