メディアリリースによると、オーストラリアのウィンターリーグ、オーストラリアン・ベースボール・リーグ(ABL)は、13日、リーグ拡大策を発表した。現在、ブリスベン、シドニー、キャンベラ、アデレード、メルボルン、パースに本拠を置く、6球団からなるこのリーグだが、来季、2018-19年シーズンより既存の6球団に加えて2球団を設立、8球団制へ移行するという。現在のリーグの前にあった初代ABLは最大8球団制だったが、これに戻そうという動きだ。 MLBの75%の出資により発足したABLも今季で8年目、昨年、MLBの資本が撤退し、オーストラリア野球連盟単独の運営となったが、2020年、東京五輪での野球復活を受けて、国内の野球をさらに発展させようとこの積極策に出た模様だ。 新球団は、現在フランチャイズのないオーストラリアの地方都市だけでなく、広くアジア太平洋地区に置くことを想定、同時にスポンサー、テレビ放送などもアジアに求めようと考えている。昨年、私はインドネシアのジャカルタ空港でABLの試合中継を目にしたが、これもアジアでのスポンサー獲得策の一環だったかもしれない。 ABLはこれまで20か国から述べ840人をロースターに登録、この中には53人のメジャーリーガーがいるほか、NPB(日本) 、KBO(韓国)、CPBL(台湾)など東アジアのプロリーグから56人の選手の名もあった。リーグはこれら東アジアのリーグのほか、MLBなど世界の主要プロリーグとの双方向の提携は維持する方向で、さらには、日本の社会人の野球連盟、JABAとの提携する方針だ。 リーグの新CEO、カム・ベイルはこう言う。「野球は、東アジア3か国ではナンバーワンスポーツだ。これらの国々では我々がシーズンを送る11月から2月までは野球がない。選手の育成には、この時期は大きなチャンスだろう。時差のないこれらの地域では、テレビ中継の期待できる。これまでもアジアの諸リーグとはいい関係を築いてきた。今年のWBCでも台湾代表はオーストラリアでキャンプを張り、ABLのチームとオープン戦も行った。この試合は、台湾で多くの人々に視聴されたと聞いている。このような放送は我々のリーグビジネスを拡大するのに重要な要素だろう」 この言葉からは、アジアからの選手の積極的な受け入れにより、スポンサーシップの強化、テレビ中継の販売などを考えているようだ。しかし、さしてレベルの変わらない台湾ならまだしも、日韓のプロリーグからの選手は、一軍半であることが多い。彼らの在籍が、スポンサーの獲得、テレビ放送につながるとも思えない。それならば、JABA加盟の大企業からの選手受入れの方が、スポンサー獲得にはつながりやすいのではないだろうか。 新球団のフランチャイズは、年内にも発表の予定だが、おそらくは、ニュージーランドにひとつ、国内地方都市にひとつというところで落ち着くだろう。地方については、ABLは、これを野球普及の重要ツールと考えており、前リーグのゴールドコースト(ブリスベンの近く)などではなく、ある意味「野球不毛の地」であるケアンズ、アリススプリングス、ダーウィンあたりになるのではないだろうか。 今季のABLは16日に開幕する。
↧
オーストラリアン・ベースボール・リーグ、球団数拡大へ
↧
メキシカンリーグ スケジュールを巡って混迷
先日メキシカンリーグの来シーズンの概要を発表したが、これが今一度議論の俎上に上がったようだ。ともに、決勝シリーズまで行うという異例の2シーズン制に舵を切ったメキシカンリーグだが、10月までずれ込む後期シーズンに、ウィンターリグ側が待ったをかけた。10月半ばに開幕するメキシカンパシフィックリーグがメキシカンリーグに再考を求めたのだ。 メキシコの野球選手の1年は、このようなものだ。 2月初めにウィンターリーグが終わると、半月ほどのオフがあり、その後メキシカンリーグ、あるいは北米のメジャー、マイナーのキャンプを迎える。メキシカンリーグのシーズンは従来は8月中に終わっていたので、その後北米にわたって9月まで野球を続ける選手も多かった。近年はメキシカンリーグじたいが完全に終わるのが9月に入ってから。選手は10月初めにウィンターリーグのキャンプを迎えるので、ここでも短いものは半月ほどしかオフがない。このような事情を考えると、10月までずれ込む夏季リーグのスケジュールには無理があるだろう。 また、いったん発表した球団消滅を撤回したデュランゴは、新オーナーのもと、活動を継続することになった。また、ベラクルスが移転して復活するテコロテスは、アメリカとの国境の町、ヌエボラレドを本拠とするが、3連戦のうちひとつはアメリカ側で試合を実施するため、「ドス(2の意)ラレド」を冠する。また、集客に難があり、前回の復帰時の失敗の原因となった、郊外の新球場は使わず、セントロ(市街)近くの旧球場、パルケ・ラフンタを使用するつもりであるという。
↧
↧
メジャーリーグ、メキシコへ帰る
MLBは、サンディエゴ・パドレスとロサンゼルス・ドジャースが、来年5月4日から6日にメキシコ、ヌエボレオン州モンテレーで公式戦を行うと発表した。メキシコで、MLBの公式戦が行われれるのは、1999年以来実に19年ぶりのこととなる。メキシコでは、来年首都メキシコシティに新球場が完成する予定で、ここでメジャー公式戦の話もあったが、先日の大地震で開催球場が変更になったようだ。 メキシコの英雄、フェルナンド・バレンズエラがメジャーデビューを飾ったドジャースだが、メキシコでの公式戦は意外なことに初めて。このモンテレーでオープン戦は行った他、2016年には、首都メキシコシティのフォロ・ソルでアストロズ戦を行うなど、計3度メキシコ遠征をしたことがあるが、公式戦による国外遠征は、2014年にオーストラリア・シドニーでダイヤモンドバックスを相手に2連戦をしたのみである。 一方のパドレスは本拠がメキシコとの国境近くにあるということから、本拠・ペトコパークでメキシカンリーグの公式戦を行ったりと、メキシコとは縁が深い。今回の遠征はMLB最初の国外公式戦となる1996年、前回の1999年に続いて3度目のメキシコ遠征となる。 MLBはこのシリーズを皮切りに、来年以降6シーズン連続で北米外での公式戦開催を目論んでいる。なお、このシリーズはパドレスのホームゲームとして行われる。シリーズの目玉はやはり両球団に在籍した経験のあるエイドリアン・ゴンザレス(ドジャース)だろう。彼は、サンディエゴの生まれだが、メキシコ国籍も保有し、WBCには過去4大会すべてでメキシコ代表のユニフォームに袖を通している。また、パドレス時代に一緒にプレーした兄のエドガー氏(元巨人)は、2017年WBCの代表監督を務めた。
↧
メキシカンリーグ、2球団が撤退へ
昨オフ、2球団が移転したメキシカンリーグで、今年も2球団が撤退することになった。今シーズン、デルフィネス・デ・シウダーデルカルメンを受け継ぐ形でデュランゴに誕生したヘネラルズは、わずか1年で撤退することに。この球団は買収先もいまだ見つからない状況で球団身売りや移転ではなく廃止の方向で動いている。 移転に際して行われた球場の修築が遅れ、地元ファンへのお披露目が開幕後ひと月も経った5月頭になったこともあり、いまひとつ盛り上がりかけた上、球団の財政難から給与の遅配などもあったという。財政難はチーム編成にも影響を及ぼし、シーズン後半になって、主砲のキューバ人、ヤディル・ドレイクを日本ハムに取られ(ドレイクはトレード時点ですでに規定打席数に達していたため、.385で首位打者に輝いている)、リーグ記録の35試合連続ヒットを記録したダニエル・マヨラも、同地区の資金力豊富なモンテレーに「売ら」ざるを得なくなった。マヨラは今シーズン、ドレイクに次ぐ打率.370を残している。 結局ヘネラルズはシーズンを43勝66敗の北地区最下位で終えた。44試合のホームゲームの平均観客数はリーグ16球団中7位の4094人であるから決して悪くはなかったが、この町のプロ野球に2年目は訪れないことになった。この結果、来季のメキシカンリーグは15球団体制となる模様だが、これだと、スケジューリングに支障がでるので、来季終了後にもう1球団削減されるとの噂が早くも流れている。その第1候補として囁かれているのは、今や強豪となったレオーネス・デ・ユカタンとオーナーを同じくするバキュエロス・デ・ラグナだ。 昨シーズンの打点王リッキー・アルバレスを姉妹球団であるユカタンに「売り渡した」のをファンは見限ったようで、観客動員数は1試合平均4396人とリーグ上位半分以上に入っているが、昨季の5395人と比べると18.5%の大幅減である。今季は、60勝49敗で勝ち越しながら、「北高南低」の傾向のため、惜しくもプレーオフ進出を逃している。(バキュエロスのホーム、パルケ・レボルシオン/トレオン) 球団の移転に踏み切るのは、名門ロッホデルアギラ・デ・ベラクルスだ。首都メキシコシティの大西洋側の外港であるベラクルスには、リーグ発足以前の1903年に鷲を意味するアギラ石油会社により最初のチームが設立されて以来、いくつものチームがフランチャイズを置いてきた。1937年の初優勝以来、最近では2012年のペナント獲得まで6回の優勝を誇る野球の歴史をもつこの町であるが、近年観客動員は落ち込み、身売りや移転の噂は絶えなかった。今季の1試合あたりのホームゲームの動員数は2661人とリーグ下位4番目。その上、州政府からの補助金がここ数年カットされたため、慢性的な財政難にあえいでいた。今季は5割を割る勝率ながら、先述した「北高南低」のおかげで、新球団ブラボス・デ・レオンとのワイルドカード・プレーオフを地元で開催することができたが、そのポストシーズンゲームでも4279人の観客しか集めることができず、ここで一旦、フランチャイズの歴史に幕を下ろすことになった。(アギラスのホーム、エスタディオ・ウニベルサリオ・ベト・アビラ/ベラクルス) アギラスの移転先は、アメリカとの国境にある町、ヌエボラレドだ。2008年に完成した比較的新しく12000席をもつエスタディオ・ヌエボラレドを本拠とする予定である。チーム名は、かつてこの町にあったメキシカンリーグ優勝5回の名門、テコロテス(オウルズ)を継承する。メキシコでは町とチーム名は不可分の関係にあり、チームの系譜に関係なく、その町にあったかつてのチーム名を新球団が名乗ることが多い。 旧テコスは、テコスは、1980年代から1990年代かけて全盛を誇ったチームで、1985年から1993年までに5回チャンピオンシップに出場、1989年にはメキシコ・チャンピオンに輝いている。ペナントを勝ち取った。 1995年には、後に来日し、横浜ベイスターズで活躍したプエルトリコ人、ボイ・ロドリゲスもプレーしている。 ヌエボラレドはメキシカンリーグがメジャーリーグに対抗した1940年代の黄金期からの古いフランチャイズ。1985年から2003年(1995年を除く)の間は、国境であるリオ・グランデを越えたテキサス州ラレドでも試合を行い、「テコロテス・デ・ドスラレド」(「ドス」は「ふたつ」の意)を名乗っていた。フランチャイズの歴史は2003年シーズンで一旦途絶えるが、その後新球場の建設を受けて、アグアスカリエンテスからチームを引き抜き、2008年に復活、しかし市の中心から3キロ半ほどの1947年から使用していた旧球場、パルケ・ラ・フンタに比べ、約10キロと遠い立地のせいか、観客動員に苦しみ、2010年シーズンを最後に移転に追い込まれた。その移転先が今回消滅するデュランゴの前身球団のフランチャイズ、シウダーデルカルメンなのは皮肉なことだ。(かつてのテコスのホーム、パルケ・ラフンタ/ヌエボラレド) 新生テコスは、かつてと同様、アメリカ側でも試合を行うことを希望している。アメリカ側のラレドには、1995年にアパッチズ(テキサス・ルイジアナ・リーグ)2006年から2010年まではブロンコス(ユナテッド・リーグ)、2012年から昨シーズンまではレムールズ(アメリカン・アソシエーション)と独立リーグの球団が度々フランチャイズを置いていたが、現在は「空き家」の状況。テコスは、かつて使用していた5000人収容のベテランズ・フィールドではなく、2012年にレムーズ誘致のため新造された6000人収容のユニトレード・スタジアムを使用する予定にしている。(かつてのテコスが使用したアメリカ側のスタジアム、ベテランズ・スタジアム/ラレド)
↧
2017 ウインターリーグの考察
本日から台湾でアジアウインターリーグが開催されます。今年は、台湾のアマチームが不参加となり、代わって日本の社会人チームが参戦します。ということで、NPBイースタン、NPBウエスタン、CPBL(台湾プロ)、KBO(韓国プロ)、欧州選抜、社会人選抜の6チームで約1ヶ月間、トータル51試合が行われることとなるので、今回はウインターリーグの考察をしていこうと思うのです。そのアジアウインターリーグへ今年、ロッテからは島、種市、宗接の三名のルーキーと鶴岡コーチが参加します。そもそもウインターリーグと呼ばれるものはどのようなものがあるのでしょうか。前置きと少し外れますが、このエントリーでは、アジアウインターリーグよりも大きな括りで話をしたいと思います。アジアウインターリーグの話は次のエントリで行いますのでしばらくお付き合いください。ウインターリーグと呼ばれるものは、大きく分けて、中南米で行われているもの、オセアニアで行われているもの、アジアで行われているものに分かれるかと思います。その内、後ろ二つはそれぞれ1つのリーグですが、中南米でウインターリーグと呼ばれるものはいくつかの国で、複数のリーグとして行われています。有名なのものとしてはメキシコのリーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ。(メキシコは他に複数リーグが存在)ドミニカのリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナプエルトリコのリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテベネズエラのリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルこれにキューバのセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルを加えた五つのチームでラテンアメリカ王座をかけて争う。カリビアン・ワールドシリーズがあります。前シーズンはプエルトリコが優勝してますね。近年ではメキシコが強く、一時期非常に強かったドミニカが勢いをなくしているかの印象があります。
NPBなどにゆかりがある選手を少しまとめたましたのでこちらをご覧ください。ドミニカのウインターリーグ ロッテでいうとカルロスロサ。カルロスロサは2016年の夏ごろまでメキシコのレギュラーシーズンでプレーしたのですがそこから何処にも所属しておらず、故障なのか引退なのか詳細が不明だったのです。このたびLeones del Escogido の選手登録がされていますので、まだ元気にプレーをしているようで嬉しいですね。
Leones del Escogidoは、LeonesがライオンでEscogidoが選ばれたという意味ですから「選ばれしライオンたち」というチーム名。かつては筒香や乙坂、松井飛雄馬など横浜の選手も派遣されていたチームですね。昨年は、ロッテのジミーパレデスも参加していました。あとロッテがらみではTigres del Liceyにナバーロが在籍しています。こちらは Tigresが虎ですから、Liceyの虎達という意味でしょうか。Liceyは本拠地がある地名です。ナバーロは昨年もロッテ退団後、Tigres del Liceyに所属していたのですが、レギュラーシーズンはどこにも所属しておらず、詳細が不明でした。ドミニカリーグの開幕前、現地のメディアの報道によれば、「肩の治療の為、休養をしていた」とかここの打線、結構NPB経験者が多くて、ナバーロ、フランシスコ、エルナンデスなんていうクリーナップが見られる試合も多いです。こちらは、メキシコのリーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ。このリーグが一番MLBに近い存在かと思います。後、5つほどメキシコのウインターリーグは存在しているのですがなかなかこのリーグほど情報が無いのが実情ですのでこのリーグのみの話になりますが…ここでもロッテがらみの選手に目を向けると…。実際所属はしませんでしたが、一時期獲得の噂のあったダニエル・ロドリゲスがいます。ロドリゲスはメキシコの代表チームとして昨年来日したりしてますから日本のファンにもなじみ深いかと思います。あと、今年Yaquis de Obregonに横浜の乙坂が派遣されてますね。以前は前述のようにドミニカにも行ってますが、今回はメキシコへとここのリーグってやはりアメリカが近いだけあってレギュラーシーズンはアメリカのマイナーなどでプレーしたり、メキシコのレギュラーシーズンでプレーしたりしてる選手が多くて、レベルが非常に高いんですよね。近年のカリビアンシリーズの結果を見てもその勢いが表れていると感じます。さらに、ベネズエラのリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルこちらは、数年前ロッテで活躍していた、アブレイユやレディズマがプレーしています。そしてホセ・カスティーヨの名前もありますね。カスティーヨは、今年のレギュラーシーズンはイタリアのプロ野球Italian Baseball League、パルマ・ベースボールに所属していました。オフシーズンは母国のウインターリーグへ参加です。最後に、プエルトリコのリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ。プエルトリコのリーグってワールドシリーズ終了後に開催されるので他の中南米のリーグより時期的に遅いんですよね。ただ言葉以外は、ほぼアメリカといった地域特性からレギュラーシーズンは米国でプレーしていた選手が多く参加するリーグでもあります。これは推測ですが、就労ビザの関係面もあるのではないでしょうか。時期的に遅かったのでチーム別に選手を纏めてませんが、ロッテがらみでいうとディッキー・ゴンザレスなどがプレーしているはずです。以前は、ソフトバンクが選手を派遣していました。このカリビアンリーグ組以外にもラテンアメリカンシリーズ組があってこれには、メキシコのリーガ・インベルナル・ベラクルサナコロンビアのティグレス・デ・カルタヘナニカラグアのリーガ・ニカラグエンセ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルパナマのリーガ・プロフェシオナル・デ・ベイスボル・デ・パナマなどがあります。あまりこちらは、日本の球団と馴染みがありませんがコロンビアのリーグへは、独立リークのBCLの選手が派遣されたことがあります。そして、オーストラリアで行われているABL。こちらは6つのチームがあるのですがロッテで馴染みがある選手はいなくてこのような選手が参加しています。西武はここ数年、ABLに選手を多く派遣していますし、ソフトバンクや阪神等の球団もこのリーグに選手を派遣していた時期がありました。ここのリーグの特徴は割と投手が揃ってるかなという印象があります。今年の参加は不明ですが中日でのプレー経験があるドリュー・ネイラーなどがいてオーストラリア代表の多くの選手が、ここでのプレー経験があります。また中南米と違って英語圏ですから比較的コミュニケーションが取りやすいのも利点だと思われます。昨年は、社会人野球のHonda、Honda鈴鹿の選手が派遣されておりNPB、独立リーグ、社会人野球とバラエティ豊かな日本人選手たちがプレーするリーグと言えます。今年の注目点とすれば、西武から派遣されている森などもいるのですが、ロッテの秋季キャンプに参加したこともある中信の林智勝の参加でしょうか。台湾球界初のトリプルスリーを成し遂げた林智勝は現在35歳。若手でもなくこの年齢でのウインターリーグへの参加というのはなかなか例が無いように思えます。ちなみに台湾球界でいえば、台湾球界で2000本安打を達せし四国ILでもプレー経験がある張泰山も今季ウインターリーグへ参加しています。こちらは41歳もはや生ける伝説です。最後のアジアウインターリーグは次回のエントリーとしますが、武者修行的な意味合いで捉えがちなウインターリーグ参加ですが、中南米のリーグとアジアウインターリーグではレベルも環境面も全く違っています。チームメイト全員がNPBの選手であるアジアウインターリーグ、スペイン語圏の選手が多い中南米のウインターリーグ。これだけでも野球に集中できるかどうかが変わってきます。そもそも、ウインターリーグに何を求めるか?何が目的なのか?というところがポイントで、単に野球の技術向上の為なのか、選手の視野を広げる為なのか、違った環境で何かのきっかけを求めてるのか、試合の実戦経験を積むことに主眼を置くのか、前述の野球以外の環境がもたらすストレスへの耐性を高めたり、環境への適応力を高めるのが主眼なのか…。そして、それぞれ派遣するリーグのデメリットも十分考慮する必要があります。デメリットというかリスクですね。怪我などのリスクもありますが、それ以外の副作用と言っていいかもしれません。それによって、対象の選手を送り出す最適なウインターリーグとはどこなのか?それが見えてきそうな気がします。
↧
↧
アジアウインターリーグについての考察
※お知らせ ブログの引っ越し先です → 飛鴎乗雲 只今平行していますが、画像の制約とかの条件が違うので若干内容が違います。さて、昨日からアジアウインターリーグが開幕しました。昨日の結果としては
NPBウエスタンを社会人選抜が9-1と大差で破ることとなりました。東京ガスの先発、臼井投手の好投、同じく東京ガスの笹川選手の満塁弾などがあり早くも来年のドラフト的な観点からも見どころが多い試合となりました。社会人選抜についてはまた別のエントリーで詳しく書きたいと思います。さらにナイターで行われた、台湾プロ選抜(CPBL選抜)とNPBイースタンとの試合は、9回二死満塁からCPBL選抜が逆転劇を見せ5-3というスコアでNPBイースタンを破り結果NPBの2チームが揃って敗れる結果となりました。毎年参加する選手は異なりますが、これが今までのアジアウインターリーグの歴史になりまして…過去4回行われている中、NPBのチームが3回優勝を果たしています。レベル的にはNPB選抜がきてそれに続くのが韓国プロ選抜、台湾プロ選抜という流れではありました。まだ一試合だけですが社会人選抜は経験的にもNPBの若手に引けを取りませんから、今後の試合が注目されるところです。社会人の大会自体にこのような長期間開催される催しがありませんから、短期決戦じゃない大会でどれだけ戦えるのかという点あたりに着目したいかなと思います。さて、ナイターで行われた二試合目にロッテから参加してる種市が、2対2の同点で七回の表に登板して結果、3人を無安打に抑えています。その裏、味方が1点勝ち越しましたので、これは勝利投手が転がり込んでくるかと思ったのですが…。前述のとおり9回にクローザーでマウンドに上がった谷岡が逆転を許すこととなりました。ところで、このNPBイースタンのチームのメンバーの内訳を見てみたいと思います。直前になって交代とかしていたようにもおもいますが、ここはウインターリーグ連盟の情報を基にすると投手 巨人4人、ヤクルト4人、楽天1人、横浜2人、ロッテ2人の、計13人。捕手 巨人1人、ヤクルト1人、横浜1人、ロッテ1人の 計4人。内野手 巨人2人、ヤクルト2人、横浜2人、の計6人。外野手 巨人1人、楽天1人、横浜1人の計3人。日本ハムはウインターリーグに選手を派遣しませんし、西武はウエスタン選抜への参加となっています。パッと見て投手が少ないかなぁと思うのですね。そして、イースタン選抜のスケジュールなのですが、最大6連戦があるのです。というと中4で先発を回す必要性もあるのかなと。この人数でやりくりするのですから当然、先発は責任イニングを全うしないと他のところへしわ寄せが大きくいってしまいます。そこで、昨年も思ったのですが、ホントに高卒ルーキの投手を派遣していいの?という疑問です。高卒ルーキーと一括りにして話すのは、些か乱暴だとは自分でも思うのですが…。これ、結構悪い意味で負担になりませんかね。ということです。調子が悪くても投げないといけないですしチームのことを考えると無理をして投げる結果にもならないか…そんな懸念があるのです。そのうえ昨年は、コーチがどうこうしておらず、佐々木トレーナがついて行かれてましたが…。他の球団でコーチを出していなかった球団は無かったと思います。その点今年は、鶴岡コーチが同行してらっしゃるので、一歩前進だとは思います。野手の方も割とギリギリで、本職以外のポジションに就くことも多いです。昨年の話ですが横浜の熊原投手が外野守備に就いていましたね。そこで、武者修行的な意味合いで、普段の整えられた環境以外でプレーすることで鍛えられるという意見も分かります。というよりも経験値的にこういったことも良いアクセントになって、何らかのきっかけが掴めることも多いと思うのですね。アジアウインターリーグ(AWL)についての考え方ですが、自分自身、実際にウインターリーグを見るまでと、見てからの感じ方は変化してますしロッテの選手が参加していないときとしている時の感覚もまた異なった受け止め方をしています。アジアウインターリーグを実際に見るまでは、武者修行的な感覚で経験としても選手のプラスになるんじゃないかと考えていました。ただ実際に、2015年に見てみて感じたことは、ウインターリーグにロッテの選手も参加すべきと僕も前々から書いていたのですが、結局はチームが選手をどうしたいのかによって意味がある派遣になると思いますし、選手本人がウインターリーグにどのような課題で取り組んでいくかによってこれがプラスにもなり、場合によってはマイナスにもなる可能性があるのでは…と。ちょっと見方が変わった2016年のウインターリーグ観戦でした。確かに経験値として他の球団の選手とプレーして得るものもあると思いますが。チーム自体は全てNPBの選手スタッフで構成されています。アジアウインターリーグに関して言えば、武者修行的な意味合いはかなり薄いかなと感じました。それでも、実際に派遣するまでは、ロッテの選手を派遣したらいいんじゃないかとも思っていたんですね。それは、まぁ「全体的な流れ」から取り残されているような…そんな思いからです。で昨年、ロッテが三名の派遣を決めました。それを見て思ったことがあります。私見になりますが、育成選手を多く抱えて試合に出せないチームってこういう場は、とてもいいと思うのです。言い方は乱暴ですが、たくさん選手を投入して僅の選手でも結果が出ればそれでいいという。まぁメジャー的なやり方と言いますか…。ですが、ロッテのチーム体制はそれと違います。どちらかというとウインターリーグに参加していない日本ハム(こちらは育成選手自体を持っていませんけど)よりじゃないかと。じゃあ、ウインターリーグに派遣するのは、反対なの?と問われそうですが、それとも違って、どちらかというとルーキーじゃなくて、何かのきっかけがあれば…とか環境を変えてみたら良さそうな選手とか、チーム事情で埋もれてる選手とか、そういう立場の選手を派遣してみた方が、今のロッテというチームには適しているウインターリーグの活用法じゃないかと思うのです。ウインターリーグに参加させた方がよい選手を、その選手にあったリーグに参加させそれに伴い球団の意図を適切に伝えれるようにする。それをしなければやはりウインターリーグの効果はプラスだけで終わらない恐れがあるという風に感じます。「出場したから、経験が積めた。」それが目的になってはならないと言う話で、やはり球団がその選手にどういう成長をして欲しいから「ウインターリーグ」をどのように使ってそれに向かって実現させていく。明確にしなければいけないのはその点だと思います。あ、余談になりますが、韓国からの派遣チームKBO選抜の背番号38 イ・デウンなんですよね。日本での表記は李大恩なのですが李帶溵が正しくて昨年の台湾のニュース記事に次のような話題として載っています。(引用)https://news.tvbs.com.tw/sports/694750
中華職棒(CPBL)主辦的亞洲職棒冬季聯盟(AWB)賽程,各國選手回本國休息,冬聯期間韓國職棒聯隊(KBO)最大話題是警察廳新兵李大恩,這次他特別幫中職簽下自己漢字,正名自己漢字姓名是「李帶溵」。李帶溵從2008年高校畢業加盟美國職棒芝加哥小熊,在小聯盟時期登錄名為「Dae-Eun Rhee」,韓文名為「이대은」,當時台灣媒體並不知道李帶溵的漢字姓名,只用音譯方式推測為「李大恩」。
2015年前往千葉羅德打球後,他在日本職棒(NPB)登錄名字為「李帶溵」,這個漢字姓名首次浮上檯面,但需要本人確認。這次隨警察廳到台灣練球,李帶溵向中職工作人員正名,親筆寫下自己漢字名字。以上余談でした。
↧
日本一監督退任
このシーズン監督就任1年目にして、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスをリーグ優勝、さらにはルートインBCリーグチャンピオン、信濃グランセローズを破って独立リーグ日本一の栄冠に輝いた養父鉄監督の退任が発表された。養父監督は、亜細亜大、日産自動車とアマチュアのエリートコースをたどりながらも、日本のドラフトにかかることなく、2001年、27歳にして、台湾プロ野球の名門、兄弟エレファンツ(現中信兄弟)でプロデビューを飾った。ここで11勝10敗、防御率2.21で奪三振王、ゴールデングラブ賞にも輝くと、福岡ダイエーが目をつけ、ドラフト7巡目で念願の日本でのプロ入りを叶えた。残念ながら故障もあり、ダイエーでは1軍登板することなく1シーズンで戦力外通告を受けるが、その後、アメリカに渡りホワイトソックスとマイナー契約、2003年からの3シーズン、3Aと2Aで通算17勝16敗防御率4.34を記録したほか、この間、ベネズエラとメキシコのウィンターリーグでもプレーするなど、豊富な海外経験をもっている。
2006年に台湾リーグに復帰も、思うように勝ち星を挙げることができず、1シーズンで解雇、翌年春にメジャーに再び挑戦するも、これもかなわず引退した。引退後、2010年に神奈川県にてベースボールアカデミーを開講、その指導力の評価は高く、2015年から2シーズンは、古巣、中信兄弟の投手コーチを務めた。昨年末、アイランドリーグから招聘され、徳島の監督に就任したが、本人曰く、「もともと1年限りと決めていた」らしく、独立リーグの頂点を極め、球団からも留任のオファーがあったにも関わらず、あっさりと退任することになった。これについて、本人は、「まあ、自分のアカデミーもありますしね。そのほか、まだまだやることがありますから」と前向きなコメントを残してくれた。徳島球団との関係は今後も続き、退任後も引き続き、国際部長の肩書きでチーム運営には携わっていくという。12月には早速、渡米し、メジャーのウィンターミーティングに出席、アイランドリーグの選手をトライアウトに連れて行くとのこと。さらに、2019年シーズンには、指導者としてマイナーリーグにも帰ってくる予定だ。
↧
拡大するベースボールのネットワーク―2015年世界プロ野球の国別ロースターから9:送出国側からみたベースボールのプロ化の広がり
これまでは、受入国プロリーグの国外選手の出身国の分析からプロ化するベースボールシーンにおけるアスリートの国際移動の現状を探ってきたが、ここでは、送出側からベースボールのプロ化が進んでいことを探っていく。 調査時において、世界中のプロ野球リーグには41の国と地域から選手が参加していた(2014-15年シーズン冬季リーグ20か国・地域、2015年夏期シーズン41か国・地域。ちなみに2008年は38か国・地域だった)。以下に、その国・地域を列挙する。 アメリカ、カナダ、ドミニカ、ベネズエラ、メキシコ、プエルトリコ、キューバ、パナマ、コロンビア、ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラ、ブラジル、アルゼンチン、ジャマイカ、ハイチ、バハマ、米領ヴァージン諸島、オランダ領カリブ、日本、韓国、台湾、中国、インド、タイ、ミャンマー、オーストラリア、ニュージーランド、米領グァム、イタリア、サンマリノ、オランダ、スペイン、ドイツ、イギリス、ベルギー、チェコ、リトアニア、ポーランド、モルドヴァ、南アフリカ。 ロースターの確認できた「プロ野球選手」は夏季リーグにおいて、計1万3504人であった(2008年は1万2388人)。そのうち出身の不明な者が173人いたが、その多くはアメリカ人であると仮定すると、確認できただけでも6293人いたアメリカは世界中の野球選手の過半数を輩出していると想定される。以下、選手の出身国の内わけは、ドミニカ(1937人)、ベネズエラ(1143人)、日本(1099人)、韓国(1038人)と続く。日本、韓国は、同じく自国にプロリーグのあるメキシコ、カナダ、イタリアとともに、国際移動をする選手の割合は少なかったが、それに対して、メキシコと台湾は、国際移動率が1割を超えている。これは、両国のプロリーグの報酬の低さと関連するものと思われる。イタリアはメキシコ、台湾以上に選手の報酬は低いが、北米や東アジアとの距離の遠さ、プレーレベルの低さにより、国際移動が抑えられると思われる。 以下では、自国内にプロリーグを持たない、つまりは、プロ選手として野球をするには、国境を超える必要にある国々に主として注目し、野球の広がりについて述べていきたい。欧州・アフリカへの拡大 野球のグローバル化研究の大家、アラン・クラインは、すでにサッカーが人気スポーツとして定着し、経済的にも豊かなヨーロッパでは、貧困から抜け出すツールとして野球競技が利用される中南米カリブ地域のような野球の定着、人気向上は難しいとしているが、イタリアでのプロ化もあり、プロ野球選手の総数は、前回2008年調査時の35人から169人と激増している(ナショナルチームレベルではヨーロッパ屈指の強豪国、オランダにも国内リーグがあり、強豪チームはほとんどすべての選手とプロ契約を結んでいるが、リーグじたいはプロアマ混合の「セミプロ」状態であるので、本稿では調査の対象とはしなかった)。また、MLB球団がマイナーの有望株を送り込むウィンターリーグにおいてもオランダ、ドイツ人選手が確認できることから、この地域におけるMLBのスカウト網は整備されつつるようにみえる。 しかしながら、プロ選手輩出国じたいは、9か国から10か国と微増であり、自国リーグでプレーするイタリア、サンマリノ人選手の数を除けば、選手総数は40人と前回調査時と大差はない。イタリアン・ベースボール・リーグは、「本格的なプロ化」を目指したものの観客動員にも苦しみ、2018年シーズンより以前のセリエAのような選手とのプロ契約を必ずしも義務付けない「セミプロ」化に戻る方針という。このことを考えると、北米や東アジアへの人材供給地としてのこの大陸への野球普及は今後もなかなか進むことはないと思われる。 クラインは一方、ヨーロッパへの野球普及について、比較的貧しく、野球を競技することが貧困脱出の手段となりうる可能性をもつ東欧に野球普及の期待を抱いている。その言葉を裏付けるように、2008年にはロシア、チェコの2か国からしか出現していなかったプロ選手は、2015年にはチェコ、リトアニア、ポーランド、モルドヴァの4か国に拡大している。しかしながら、ヤンキースと2013年に契約を結んだというポーランド人・アルトゥル・ストルザルカは、この2015年と翌年にルーキーリーグでリリーフとして計21試合に登板し3勝2敗、防御率5.28という成績に終わると、北米球界を去っている。2017年シーズンは日本の四国アイランドplusでプレーし、20試合で1勝3敗、防御率3.88を記録している。また、2012年にイタリアで行われたアカデミーからツインズとの契約を勝ち取ったモルドバ人投手バディン・バランもまたこの年、リリーフで1試合、1イニング2/3を投げたのみ(無失点)に終わっている。 クラインの予言は、アフリカにおいてさらに正鵠を得たものとなっている。彼は、この大陸にドミニカ同様の野球の可能性を見出しているが、彼がその射程に置いた南アフリカ共和国出身のマイナーリーガの数は、2008年の4人から8人へと倍増している。さらに言えば、このうち、パイレーツと契約したギフト・ンゴエペは2017年シーズン、「アフリカ初のメジャーリーガー」としてデビューを果たしている。英語が公用語でもあるアフリカ一の経済力を誇るこの国が今後もこの地域の野球の中心地となり、人材供給センターとなる可能性は大いにある。 クラインが指摘する、MLBによるスカウティングの一環として流れのほか、アフリカには、開発援助としてのスポーツ普及の一環としてのトレンドも存在する。この活動は、とくに日本において盛んで、現在複数のNGOが現地野球連盟とともにアフリカでの普及活動を行っている。日米において独立リーグがその数を増やすなどプロのプレーレベルの下限が下がる中、その活動のひとつの結果としてプロ選手を送出することも起こっており、前回調査した2008年においても、日本の四国アイランドリーグ(四国アイランドリーグplus)にジンバブエ人選手がひとり在籍しており、2015年シーズンも調査時点においては、「練習生」扱いでロースターには入っていなかったが、シーズン終盤に、同リーグに西アフリカのブルキナファソ出身者が選手契約を結び「プロデビュー」を飾っている。彼らはともに日本のNGOが行った野球普及活動の結果来日したもので、今後も断続的にこのような日本の独立リーグへのアフリカ出身者の国際移動は見られると考えられる。
↧
オーストラリア、台湾リーグに参入か
豪州のウィンタリーグ、オーストラリアンベースボールリーグ(ABL)は、台湾のプロリーグ、CBBLへの参入の可能性をウェブサイトで発表した。2010年にMLBからの75%の出資で始まったABLだが、現在はMLBの資本は撤退しており、単独株主となった豪州野球連盟(ABF)は、アジアとの提携を深めてゆく方向性を示している。今回の構想はそれを具現化しようというものである。 ABLは発足当初から、アジアのプロリーグと提携を結び、NPB(日本),KBO(韓国),CPBLの球団からの派遣選手を受け入れてきた。NPBから派遣された選手では、中村晃、今宮(ソフトバンク)、菊池(西武)、秋山(阪神)などがABLを踏み台にスターダムにのし上がっている。 台湾との関係は近年密になり、中でも台湾人コミュニティのあるブリスベンには、例年、CPBLからの選手が参加している。今年のWBCに際しては、代表チームがここでキャンプを行い、台湾人選手を受け入れているバンディッツとオープン戦を実施した。2020年東京五輪での野球復活を受けて、代表チーム強化を図りたいABFは、来年春には侍ジャパンとのテストマッチを組むなど、積極策に出ているが、メインの野球シーズンである北半球の夏にプレーの場をもたない選手が多い中、台湾リーグ参入という方策に活路を見出したようである。 CPBL側としても、現在の球団数が発足当初の4にまで縮小し、球団数拡大は大きな課題でもある。一部企業が球団保有を目指すという話もちらほら上がっているが、リーグ戦を円滑に進めるのに必要な2球団増はなかなかむつかしいようで、1球団を豪州の参入によって賄うことができれば願ったりかなったりかもしれない。ということならば、台湾国内でもう一球団の参入が発表されてもよさそうなものだが、そのような声はまだ聞かれず、豪州チームのスポンサーや本拠地球場(トラベリングチームを想定しているのかもしれないが)なども含めて、この話も具体化するかどうかはいまだ不明ということなのかもしれない。 プロリーグに外国のチームが参加する例は、これまでMLB傘下のルーキー級アリゾナリーグにメキシカンリーグのアカデミーチームが参加した例や、同じくドミニカンサマーリーグに日本の広島カープのアカデミーチームが参加した例があるが、これらのリーグは興行を行わない純粋な育成リーグだった。また、独立リーグでは、2005年に発足したゴールデン・ベースボールリーグに日本人チーム、サムライベアーズが参入した例や、日本の四国アイランドリーグplusやキューバナショナルチームがカナダアメリカに展開されるカンナムリーグに参戦した例がある。 その国のトップリーグでは、MLBのカナダチームのようにフランチャイズそのものの国境を越えた拡張はあるが、今回のような例はいまだかつてない。実現すれば面白いことになりそうだ。
↧
↧
ドミニカの青い空 前編
このブログ記事は自称カープ変態の管理人による妄想100%の完全フィクションです。ドミニカ共和国なんて一度も行ったことがありませんが、今年のバティスタとメヒアの大活躍に影響を受けまして、ドミニカ野球を取材しに行きたくなりました。笑全部フィクションです。どうぞ暖かい目で見てやってください。よろしくお願いします。・・・
2017年11月27日ドミニカ共和国・ラスアメリカス国際空港ひがいやーやっと着いたぞ。首都サントドミンゴ!フェリシアーノおーい、ひがさーん!ひがああ、フェリさん!お久しぶりです。お迎えありがとうございます。フェリシアーノ長旅、お疲れ様でしたね。ひが早く噂のサトウキビジュースを飲みたいです。グアラポ、グアラポ!フェリシアーノひがさん、もうちょっとだけガマンしてください。笑せっかくですからビーチで飲みましょう!ひがきれいな海に青い空!ドミニカって案外涼しいんですね。フェリシアーノそうなんです。一年中温暖で冬がない代わりに、夏もそこまで暑くはありません。湿気が少ないし、偏西風が吹きますから。
8月は絶対広島のほうが暑いです。笑・・・(車で移動中)
ひがあ、あそこに野球場がある!あ、こっちの公園でも子供たちが野球やってますよ。フェリシアーノひがさん、ここからアカデミーのあるサンペドロマコリスまでの道中はずっとこんな景色ですよ。街のいたるところが「野球」であふれています。ひが羨ましい・・・いい国だなあ。引っ越したいです。笑フェリシアーノさあ、もうすぐボカチカの町に到着しますよ。ひがボカチカ?フェリシアーノはい、カープアカデミーのあるサンペドロの町へ行く前に、ちょっとボカチカも見て行きましょう。今ドミニカではウインターリーグの真っ最中ですが、夏はこのボカチカと隣のサンペドロでサマーリーグが開催されるんです。それはそれは盛り上がりますよ。ひがああそうでしたね。確かマイナーリーグの1A級でしたっけ?フェリシアーノいえ。その下のルーキーリーグです。ボカチカには北南西中の4つのリーグがあり、サンペドロにも1つのリーグがあります。ドミニカ全体で5リーグ36チームが存在します。ひがえ、全36チーム?
MLBは30球団なのに・・・ですか?フェリシアーノそうなんです。ヤンキースなどのお金持ちチームはサマーリーグのチームを2つ持っているんです。ヤンキースワンとヤンキースツーという風に。ヤンキースの所有する野球アカデミーは1つだけです。ですがそこで契約している選手が50人以上いるので、1チームだけじゃ選手全員が試合に出られないというわけです。ひがひええ・・・ソフトバンクがパリーグに2チーム持ってるようなもんですか。メジャーってなんでもケタ違いですね。フェリシアーノ昔はカープアカデミーもサンペドロのサマーリーグで試合をしていたんですよ。ひがええ、それは知っています。ドミニカチャンピオンになったこともありますよね。フェリシアーノそうです。1995年。僕はまだ子供でしたけど、その時に初めて「ヒロシマ」という言葉を知りました。ヒロシマを知ったのは爆弾のことよりカープが先でした。ひがでも確か今はサマーリーグに所属していないんでしょ。フェリシアーノええ、残念ですがその通りです。皮肉なことに95年の優勝がきっかけで、カープはメジャーリーグから目を付けられてしまいました。カープ優勝を受けて、それ以降サマーリーグには巨額な参加料が課金されることになりました。ちなみに現在の参加料は年間1億ペソ(妄想)です。ひがペソで言われても。笑フェリシアーノははは。すみません。日本円なら23億円ですよ。ひがげっ! そうですか・・・それじゃあ当然のようにカープは撤退しますよね・・・哀フェリシアーノ撤退というよりもMLBから追放されたようなものです。ひがしかしヤンキースやカブスはその参加料を2チーム分払っているわけでしょう。それほどの巨額の投じる価値がこのドミニカにはあるという訳ですか。フェリシアーノそういうことです。さあビーチに到着しました。ここでなにか冷たいものを飲みましょう。・・・(ホテル・ネプトゥーノ)
ひがおお、すごい高級感ですね。フェリシアーノボカチカを代表するリゾートホテルです。シーフードもカクテルも美味しいですよ。ひがオープンデッキにテラス席。あっちにはソファーベッドまで。なんか「寝ソベリア」みたい。笑フェリシアーノどうです、ひがさん。ここでカクテルでも。ひがいや、せっかくですけど私はあっちのごっちゃごちゃした場所へ行ってみたいです。子供たちと屋台が見えてます。フェリシアーノあっちは無料のビーチなんで、治安が良くありませんよ。ひがどうせ盗まれるものなんかありませんよ。せっかくドミニカに来たんですから、私はああいうところへ行ったみたいです。それにバティもメヒアもどっちかっていうとあっちの世界の出身でしょ。フェリシアーノあはは。私だってそうですよ。ドミニカで野球をやってる人間はみんなあっちの世界の人間です。ひがじゃあ行きましょう。・・・1時間後、カープアカデミーへ到着ひがいやあ、ボカチカではすっかり仕事を忘れて楽しんじゃいました。フェリさん、ありがとうございました。フェリシアーノどういたしまして。さあカープアカデミーに到着しましたよ。ひがえっ!ここ!?牧場!?・・・というか草原じゃないですか!でかすぎて何が何だか。笑フェリシアーノははは。面積だけならカープアカデミーもメジャークラスですよ。さ、こちらがオフィスです。どうぞ、責任者を紹介します。八谷智隆いらっしゃい。やたがいと申します。カープアカデミーにようこそ。ひが初めまして。月間妄想カープのひがと申します。この度はお世話になります。八谷こちらこそ、よろしくお願いします。いつも楽しく読ませてもらっていますよ。ひがありがとうございます。八谷さん、まだお若いですね。何年生まれですか?八谷
1986年です。10月7日。(妄想)
ひがえっ!ブロハードが槙原から逆転2ランを打った日じゃないですか?八谷そうです。さすがはひがさん。笑ドミニカに来てまでブロハードですか。笑ひがだって1986年はカープ史上最も劇的な一年ですよ。それをアシストしたのがヤクルトのブロハード。忘れられない一日です。八谷私も広島生まれですが、なにか運命を感じていますよ。ドミニカ暮らしももう5年になります。ひがそうだったんですか。お若いのに経験も豊富なんですね。八谷取材のことはフェリシアーノに任せてます。何でも遠慮なく彼に尋ねてください。ではまた後ほど。ひがありがとうございました。フェリシアーノじゃあひがさん、さっそくグラウンドをお見せしましょう。ちょうど練習も始まっていることですし。ひがはい、よろしくお願いします。後編につづくこちらが引っ越し先ですカープファンの構想と妄想
↧
拡大するベースボールのネットワーク―2015年世界プロ野球の国別ロースターから10:送出国側からみたベースボールのプロ化の広がり後編
アジア・オセアニア:野球界の「ブルーオーシャン」 東アジアを除くアジア、オーストラリアを除くオセアニアはいまだ「野球不毛の地」と言ってよい。それでも中国、インド、タイ、ミャンマー、ニュージーランド、グアムから「プロ野球選手」が出現している。アメリカ領であり、かつて読売巨人軍が春期キャンプを行っていたグァムや北京五輪にも出場した中国からMLB傘下のマイナーリーグに人材が供給されるのはある意味当然とも言えるが、その他の地域にも野球は確実に広がりつつある。 インド人選手については、現地テレビ局の企画で行われたスカウティングが、映画『ミリオンダラーアーム』の題材となったことを知っている人も多いだろう。今回の調査で見つかったマイナーリーガーは、この映画の主人公のモデル、リンク・シンである。しかし、この企画後、インド人プロ野球選手が誕生していないことは、クリケット、カバディというナショナル・スポーツが、グローバル・スポーツであるサッカーをも駆逐しているこの国での現状以上の野球普及が難しいことを示している。 2人いた東南アジア出身者は、ともに日本の独立リーグに在籍していた。そのうちミャンマー人選手はアフリカ同様、日本人による普及活動の結果、独立リーグ入りを果たしている。このことはプロリーグとしては比較的プレーレベルの低い日本の独立リーグが、野球新興国のトップレベルの選手の目指す場所となっていることを示している。 中南米カリブ:アメリカの後背地の拡大 プロのウィンターリーグが存在する国とキューバ以外は、サッカーが国技となっていると思われているこの地域だが、野球の組織化は次第に進んでいるようである。 今や国際大会の強豪となったオランダナショナルチームを支えるキュラソーをはじめとするカリブ領出身者は、2008年と比較すると、26人(2008年)から45人と激増している(冬季リーグにおいては変化なし)。 先般、『中南米野球はなぜ強いのか』を上梓した中島大輔によると、この地域では1990年代前半まではサッカー人気が野球人気を凌いでいたという。この状況は、アンドリュー・ジョーンズのメジャー昇格とその後の活躍により、大きく変わり、キュラソーは今や人口比ではドミニカを凌ぐ「メジャーリーガー製造工場」となっているという。 オランダ領カリブだけではない。ブラジル出身者の数も、夏季リーグで6人から17人と激増している。この国は2013年WBCで予選を通過し、本選出場を決めるなど、国際大会においても着実に実力を伸ばしているが、この背景には、MLBのスカウト活動の活発化とそれに伴う国内での育成システムの整備の結果として国外のプロリーグに移動する選手の増加があると考えられる。 このほか、今回の調査の後のことにはなるが、近年、カリブ海の小国、バハマで野球場が造られたり、グアテマラのナショナルチームがメキシコのウィンターリーグのひとつ、リガ・エスタータル・インビエルノ・ベラクルスと交流試合を行う(2017年)、ホンジュラス、エルサルバドルのアマチュアリーグに、各々の国出身のマイナーリーガープレーするなど、
MLBの影響の元、中南米カリブ地域の「野球不毛の地」にも着実に野球の種が蒔かれ、プロ化が進んでいることがうかがえる。 今後も、この地域にはプロリーグがない国が多いものの、国外でのプレーを選手が目指した選手の流出の波は続くであろう。
↧
ドミニカの青い空 後編
前回の続編です。このブログ記事は管理人による妄想100%の完全フィクションです。ドミニカ共和国には一度も行ったことがありません。頑張ってインターネットでドミニカの野球事情を調べたんですが、わからないところは全て想像で書いています。たくさん間違っていると思います。この記事の全部がフィクションのつもりで、どうぞ暖かい目で見てやってください。よろしくお願いします。・・・・・・ドミニカ共和国 サンペドロマコリスここはカープアカデミーの第二グラウンド・・・・・・ひがうわあ、綺麗なグラウンドですねえ。そして・・・広い!!!フェリシアーノははは。マツダスタジアムより広いですよ。しかもここは練習用の第二グラウンドです。あっちの球場がナイターもできる試合用の第一グラウンドです。ひが青葉学院よりすごいですね。フェリシアーノえっ?何です?ひがあ、いや。こっちの話です。フェリシアーノ注目選手を紹介しますよ。今ショートでノックを受けてる選手がクワトロ=バジーナ。フットワークが自慢の22歳です。クワトロ=バジーナハアハア・・さあ来い!もういっちょ来い!コーチよーしこれでラストだ、がんばれ!それっ! カキーンクワトロこのやろう、ドドドォー!!!くそ、届かない! ゼエゼエ・・・コーチおーい、これで終わりにするか、続けるか?クワトロそんな決定権がお前にあるのか!コーチ何言ってんだ? 俺はコーチだぞ。クワトロまだだ!まだ終わらんよ!ひが顔に似合わず根性あふれる選手ですね。野村謙二郎みたいです。笑フェリシアーノドミニカ人はみんな陽気なガッツマンですよ。試合中にネガティブなことは全く考えません。エラーしても「さあ次だ、次」みたいに前向きです。ひが昔のカープは連敗しても連敗しても「明日、明日」が口癖でしたけどね。フェリシアーノカリブの選手に共通するのは「打てなきゃどうしよう」「ミスしたらどうしよう」って発想が全くないことです。いつも彼らにあるのは「ここで打てばヒーローだ、目立ってやる!」って言うポジティブ思考だけです。ひが何をするにも「まずは明るく楽しく」ってところは日本人にない気質ですよね。ブラジルのサッカーみたいな「ラテンのノリ」が頼もしいですね。あれ? でもあそこになんだか暗そうな選手もいますよ。フェリシアーノああ、彼はアムロ=レイですね。ドミニカには珍しい内向的な子です。ひがグラウンドにしゃがみ込んで、何やってんですか?フェリシアーノ彼はグラウンド状態に非常に神経質でね。イレギュラーしないかいつも気になるみたいです。よくああやって地面をじーっと見つめてることが多いんですよ。アムロぶつぶつ・・・たかが石ころ一つ・・・ぶつぶつぶつ・・・ひがへえ、ドミニカにもそんな選手がいるんだ。フェリシアーノブルペンにもご案内しましょう。ちょうど今、タバーレスとモンティージャが投げています。ひが彼らは日南の秋季キャンプに参加していましたね。フェリシアーノ初めて日本の練習に参加したことが多いに刺激になったようですよ。ひがアカデミーの選手たちは当然、バティスタやメヒアの大活躍も知っているでしょう。フェリシアーノ今年バティとメヒアが支配下登録されたので、来年は日本の育成枠が1つか2つは空くだろうとみんな言ってます。ですから選手たちも目の色を変えて張り切っていますよ。ひがカープの育成契約は支度金が100万円で年俸が240万円です。この程度の金額でもドミニカ選手にとっては、モチベーションに繋がるんですか?フェリシアーノいえ、そこは金額の問題ではありません。マイナーリーグも日本の育成契約も、あくまで通過点です。やはり選手たちは日本でもアメリカでも「メジャー契約」を目指していますよ。ひがバティやメヒアが日本で6年契約を結んだことはアカデミーの選手たちにどう映っているんですか?フェリシアーノバティとメヒアの年俸が400万ペソ×6年でしょ。多少の出来高が付いたところで、彼ら二人の目標がそこではないことはみんなが理解しています。ひがですからペソで言われましても・・・苦笑フェリシアーノそうでしたね。すみません。笑バティとメヒアの来季年俸が1000万円+出来高。バティとメヒアは今25歳ですから、彼らは31歳までに日本で2億円近く稼ぐつもりでしょう。そこからメジャーリーグに行くのか、カープで骨を埋めるのか・・・どちらになるかはわかりません。ひがうーん、カープ経由ではやっぱりちょっと出世が遅いかも・・・フェリシアーノですからカープアカデミーには若い有望選手はやって来ません。そういう有望株はビッグマネーを目指してメジャーリーグのアカデミーに行きます。カープアカデミーにやって来る選手は、メジャーのアカデミーの試験に落ちたとかアメリカの1Aから解雇されたとか、そういうキャリアの選手たちばかりです。ひがとなると20歳から25歳くらいですか。フェリシアーノそうです。バティもメヒアもそうでした。そういう20代の選手を2年ほど鍛えて日本に送ります。ひが現在、アカデミーには何人の選手がいるんですか?フェリシアーノ契約選手は4名。投手2人に野手2人です。あとは練習生が22名ほど。ひが選手はどうやって集めているんですか?フェリシアーノアカデミーのスカウトが見つけてきた選手と、選手自らテストを受けに来るパターンと二通りです。そうそう、スカウトじゃありませんがOBの古沢憲治さんもちょくちょく選手を見つけてアカデミーに連れて来て下さいますよ。笑ひがへええ、カープにトレード移籍してきた古沢さんが今はドミニカで原石たちをスカウトしてるのか・・・古沢さんと交換で西武に行った高橋直樹さんはNHKでメジャーリーグの解説をしていたし・・・当時は単なるおっさん同士のトレードだと思ったけど、今思うとあれはあれでなかなか国際的なトレードだったわけか・・・ぶつぶつぶつフェリシアーノえ、なんです?ひがああ、すみません。苦笑またこっちの話でして。フェリシアーノ古沢さんはドミニカ事情にも詳しく、日本のプロ野球事情にももちろん精通されています。第一線を退かれた今でも、アカデミーにとっては大切なお父さん的存在です。ひがそうですか。それでアカデミーのスカウトのみなさんは、どこで選手を見つけてくるんですか?フェリシアーノドミニカでは日本のようにリトルリーグとか高校野球とかが盛んじゃありません。プロを目指す子供たちのほとんど全員が野球アカデミーで野球を学んでいます。例えば14歳や15歳の子供が学校の授業を終えてから、野球アカデミーで練習しているんです。ひがメジャーリーグのアカデミーですね。フェリシアーノそうです。メジャーリーグのアカデミーでは15歳以下は無料で練習をさせたり、昼食まで出すところも多いです。ピカピカの原石を見つけて、一刻も早く囲い込みたいからですよ。あのロビンソン=カノやサミー=ソーサもドミニカアカデミーの出身ですよ。ひがふーん、ドミニカでもやっぱりカープは貧乏なんですね。それも競争相手はMLB。巨人や西武どころじゃないビッグマネーが相手か・・・フェリシアーノどうしました? 震えてるんですか?ひがでも、だからこそ・・・だからこそ、カープアカデミーにはロマンがありますね!フェリシアーノロマン・・・ですか?その日本語はよく理解できませんが、もしかして敗者復活とか逆境という意味ですか?ひがそうです、それですよ、男のロマンとは。貧乏な中でも巨大資本に立ち向かう姿こそカープですよ。メジャーリーグを落ちこぼれた選手をカープが拾う。そして育成して日本でセカンドチャンスを与える。選手たちの夢はメジャーリーガーかもしれないけど、日本で変化球を打てるようになったり、スライダーでストライクが取れるようになってからアメリカに挑戦する道も悪くないですもんね。フェリシアーノその通りです。カープアカデミーの趣旨もそれですよ。ひが今年、あのライネル=ロサリオが3Aで完全復活しましたよね。もしかして彼も来季はメジャーリーグでプレーできるかもしれません。フェリシアーノロサリオは今でもアカデミーに連絡くれますよ。ソリアーノも時々遊びに来ては、選手たちとキャッチボールをしてくれます。ひがケサダは、ケサダ!?フェリシアーノ興奮しないでください。笑ケサダも遊びに来ますよ。ひが現役時代の緒方監督がよくケサダを可愛がってたらしいですが、ケサダはNPB史上初めてポスティングシステムでアメリカに移籍しました。それにロサリオやグスマンも緒方監督1年目で解雇になりましたね。もしかしたら純日本人で九州男児の緒方孝市は、陽気なドミニカンたちとの相性が良くなかったのかもしれませんね。フェリシアーノ僕はよく面倒を見てもらいましたよ。ひがいやいや、やっぱり緒方監督は堅い人間ですよ。堅いという言葉がいけないなら厳格とでも言えばいいかな。とにかく完璧主義で自分に厳しい人です。そういう上司の下で陽気なドミニカンは本来の力を発揮できなかったのかもしれません。実際、1年目の緒方監督は「勝たないといけない」「ミスしちゃいけない」っていう、いかにも日本人的な気真面目さにあふれていました。これがロサリオやグスマンの長所を消していたんですよ、きっと。フェリシアーノでも今年のバティスタとメヒアはチームに溶け込んで大活躍しました。ひがそうです。2年かけてチームの雰囲気を明るく変えたのは新井さんと黒田さんです。この二人の復帰はやっぱり大きい。緒方監督もこの二人に全幅の信頼を寄せ、チームを任せた。そして二人はグラウンドのリーダーを菊池と丸に任せた。新たなチームリーダーに誠也やカピバラ軍団も加わって、気真面目一本だったカープから、陽気でラテンなカープに変わっていきました。フェリシアーノ確かにチームの若返りと明るさが、アカデミー選手の活躍に結びついたかもしれませんね。ひが緒方監督自身も変わりましたよ。
2年目からは自分が一歩引いて、若い選手たちのやりやすい雰囲気作りを心掛けました。これ、言葉で言うと簡単ですけど、昭和の野球部員が軍隊的規律と体育会系上下関係の中で30年も40年もやってきて、今のゆとり世代じゃないけど新人類みたいな若い選手をのびのび放牧するってのは指揮官としては相当な勇気と覚悟が必要だったんですよ。フェリシアーノそうですか。私には日本の細かい事情まではわかりませんが、日本人の真面目さと勤勉さ、忍耐力はドミニカンには真似できない部分です。そこは大いに尊敬していますし、アカデミーでの指導にも「真面目にコツコツ」を取り入れているつもりです。ひが逆に日本もメジャーリーグや国際試合を経験して、意識が変わってきていますよ。少年野球も昔と違い柔らかくなってきました。ミスしても積極的に行けとか、先輩後輩がフレンドリーな関係になったりとか。フェリシアーノどちらもお互いのいいところを吸収し合っています。ひがそうです。メジャーと比較して、カープアカデミーの長所はそこだと思います。フェリシアーノいや今回の取材は私達にもたいへん勉強になりましたよ。ありがとうございました。ひがこちらこそ取材協力ありがとうございました。今度、広島に帰ったら安部の覇気Tシャツとか、中﨑のペットボトルキャップとか、カープグッズをたくさん送りますね。フェリシアーノいや、それは要りません。苦笑おしまいこのブログ記事は管理人の妄想100%で完全にフィクションです。間違っている部分も多いので、決して真に受けないでください。
↧
リガ・インビエナル・デ・メヒコ(メキシコウィンターリーグ)レポート(12月13日、メキシコシティ・フライナノ球場)
すでに何度か述べているが、メキシコは隠れた野球大国だ。年中国土のどこかでプロ野球が行われている。有名なのは、昨年はソフトバンクの五十嵐が、今年はDeNAの乙坂が参加したリガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ(メキシカンパシフィックリーグ,LMP)だが、そのほかにも、いくつものウィンターリーグが開かれている。その実態を見るべく昨年夏に引き続いてメキシコにやってきた。 夏のトップリーグ、リガ・メヒカーナ(メキシカンリーグ、LMB)は、3年前から冬のマイナーリーグを主催している。かつてはリガ・ノリエステという冬季マイナーリーグが太平洋岸、LMPが行われているシナロア州の南のナジャリ州にあり、このリーグの球団にメキシカンリーグ各チームがファーム選手を出して冬のペナントレースが行われていたのだが、聞けば、経済的にこのリーグが立ち行かなくなったらしく(ただしリーグじたいは形を変えて継続しているようだ)、ならばと、LMBが自前で教育リーグを立ち上げたのだ。昨年までは首都メキシコシティからハリスコ州周辺に展開されるこのLIMのほかに南部ユカタン州周辺で行われるリガ・ペニンスラールもあったが、こちらは今年からなくなったようで、ペニンスラールの中心球団であったレオーネス・デ・ユカタンは、メキシコシティの北西にあるミチョアカン州マラバティオに本拠をおいてLIMに参加している。 今年のLIMは6球団制。うち2チームはLMBの2球団からの選手で構成され、残り4チームは資金力のあるディアブロスロッホス・デ・メヒコ、スルタネス・デ・モンテレイ、ゲレーロス・デ・オアハカ、そしてレオーネスのファームである。さらにそのうち、ディアブロスとゲレーロスはユニフォーム、チーム名、本拠地もそのままで冬のリーグを戦っている。 せっかくなので、地方に本拠を置くチームを見に行きたかったのだが、この時期に行われる決勝シリーズに勝ち残ったのは、ディアブロスとゲレーロスという夏のリーグと全く同じチーム。少々面白みに欠けるがこればかりはどうしようもない。成田からの直通フライト到着後、宿で荷を下ろして午睡をとったあと、ディアブロスの本拠、フライナノに向かった。この球場には昨年の夏に訪れたのだが、再訪するとは思わなかった。実のところ、今年にはディアブロスは新球場に移ることになっていたのだ。球場でスタッフに聞くと、夏の地震のせいで完成が遅れたとのことだが、この春には完成するはずだったので、理由にはならない。ただ地震でダメージを受けたことは確かなようで、来春のこけら落としも難しいような気がする。 ウィンターリーグとはいうが、実際それが行われる地域は南半球でまさに夏のシーズンか、赤道近くの常夏国々だ。しかし、ここメキシコはまさに冬。むろん日本ほどではないが、日中はともかく、朝夕は冬装備でなければ過ごせない。ある意味、選手にとっては快適かもしれないが、所によっては完全に冬の寒さになることもある。 それでも、ふぁおなるシリーズとあって、この日、球場には夏のリーグの公式戦以上に観客がやってきていた。試合前、インタビューを受けていたディアブロスのオーナー、アルフレッド・ハープ・ヘル氏も上機嫌だ。実のところ、相手チームのゲレーロスのオーナーも彼で、いわば兄弟対決にご機嫌なのもうなづける。 このリーグは25歳以下の選手によって行われる。大半は夏、北西部ソノラ州で行われるマイナーリーグ、リガ・ノルテ・デ・メヒコでプレーしている。しかし、オーバーエイジ枠も設けられているようで、一軍のLMBで主力を務める今年34歳になるイバン・テラッサもこの日の試合に出場していた。このクラスの選手は通常、冬はLMPのチームと契約を結んでプレーするのだが、この夏のシーズン、彼は3割を記録したものの(打高投低のメキシコではレギュラーが3割は半ば当たり前だが)、出場試合数を大きく落としていたので、冬はLMPからあぶれてしまったのかもしれない。 ともかくもこのリーグには11月に行われたU23パンアメリカン大会(来年にひらかれるU23ワールドカップ予選)に出場していた選手も出場していた。 外野手が2人。 フリアン・オルネラス・20歳 今季一軍デビューを飾り45試合出場で.295をマークしている。この日は、ランナー3塁において、内野ゴロで勝利打点を挙げていた。 ホセ・カルロス・ウレラ・22歳 こちらはパドレスのシステムで昨年までプレーしていた選手だ。2012年にドミニカンサマーリーグでデビューして以降、順調に昇格し、昨シーズンはフルシーズンのA級でプレーしている。メキシカンリーグには今年初めて登場したが、83試合出場と準レギュラーの扱いを受けていた。 投手ではレニックス・オスーナ・22歳 こちらは、まだ一軍デビューは飾っていないが、この日は、1点差の終盤にセットアッパーで登場してきた。 試合は、ホームランが乱れ飛ぶ、逆転に次ぐ逆転の乱打戦となり、最後は1点差で地元ディアブロスが逃げ切ると、メインスタンドを埋めた満員の観衆は大盛り上がりしていた。 それにしても、いわゆる「2軍」の教育リーグで、おそらくは3000人以上と思われる観客を集めるとは、メキシコの野球もなかなかの人気のようである。
↧
↧
メキシコ地方リーグ、リガ・メリダーナ(12月16日)
メキシコシティから1400キロ。バスで実に22時間かかった。16時間と聞いていたが、途中、道路工事にともなう渋滞などもあってかなり遅れて到着。昨夜からほとんどバスに乗りっぱなしだ。ユカタンは遠い。 この町、メリダには昨年の夏に一度来ているので要領はわかっている。その時泊まったバスターミナル前の安宿に投宿。ツインルームしかなかったが、それでも1500円ほど。Wifiもついているので、ここに転がり込む。宿に着くなり「寒いだろ」と言われるが、日本やメキシコシティよりよほどましだ。ここまで南に来ると、日中は半袖でないとやってられないし。夜も長袖を一枚羽織れば問題ない。ある意味、野球するには絶好の気候だ。 しかし、つくづく物好きだと自分でも思う。今回の野球旅ではここまで足を延ばすつもりはなかったのだが、「リガ・メリダーナ」なる謎のリーグのファイナルシリーズが行われると聞いて、足を運んでしまったのだ。 このリーグは2010年に創設されたものの2シーズンで休止、その後ウィンターリーグとして2013年に復活したらしい。メリダは、メキシカンリーグの人気チーム、レオーネス・デ・ユカタンを擁する町だが、このユカタン半島は、野球伝来の地のひとつとあって、野球熱も高いようだ。この地域では、昨シーズンまでは、メキシカンリーグの冬季教育リーグ、リガ・ペニスラール(半島リーグ)が行われていたが、これは今季からは、メキシコシティで取材したリガ・インビエナル・メヒカーナに統合されたようである。その代替だろうか、リガ・エスタータル・ユカテカ(ユカタン州リーグ)というのができたようで、レオーネスの本拠、ククルカン・アラモを使用している。 今季のリガ・メリダーナはメリダ市内近郊の球場を本拠とする6チームが20試合ほどのレギュラーシーズンを経て上位2チームがファイナルを争うことになっている。シリーズに進んだのは、市の西方、ボホルケスをホームとするディアブロスと北方、コデメックスのコンストラクトレスだ。町の中心からランドマークとなるマヤ博物館の名を告げ、バスに乗る。町はずれの大きなショッピングセンターの先にひときわ目立つモダンな博物館があり、そこで降りた。コデメックスの球場はこの博物館が面する、かつて列車が走っていた線路が真ん中をつらぬく道路の反対側、数ブロック東にある。といっても大通りからはその姿は見えない。下町らしい雰囲気の路地を進むと、いかにも草野球場といった公園があり、そこがコンストラクトレスの本拠地だ。実際アマチュア用の球場で、両翼の外野エリアの芝生はファールゾーンから続く少年野球用のフィールドのため大きく削られている。また固定式のベースもなく、座布団のような古ぼけたベースを所定の場所において使っている。 試合1時間前、まだ人気はなく、球場前の通りでは露天商が準備にいそしんでいた。 フィールドではすでに両軍の選手がアップをしていた。バッティング練習やシートノックはなく、まさに準備運動だけで彼らは試合に臨む。ビジターチームのディアブロスの中に英語を話すベテラン選手がいたので、話を聞いた。 選手の名は、ルイス・マウリシオ・スアレス。プロ20年目のベテランだ。今年の夏はメキシカンリーグのベラクルスでレギュラー外野手として過ごした。これまで冬は、「メジャー」のメキシカン・パシフィック・リーグで過ごしていたが、最近はこのメリダリーグでプレーしているという。プロアマ混成のこのリーグではやはり力の差は圧倒的なようで、1試合4ホーマーの荒業を彼は今シーズン記録している。この日も、あわやホームランという当たりを外野のブロック塀の最上部に放っていた。 このリーグは、メリダ市がスポンサーとなって行われているという。スアレスのようなプロ選手や外国人選手には週6000~7000ペソ(3万6千円~4万2千円)、平日は別の仕事をしている地元のアマチュア選手にも2000~3000ペソ(1万2千円~1万8千円)のギャラが出るという。月給にするとプロで15,6万円、アマチュアで5万円ほど。試合は週末だけなので、それなりにいい給料かもしれない。それにしても、それにしてもプロのレギュラー選手と、いわば草野球のうまい選手が一緒になってプレーするとは日本では考えられないことだ。 給料が出ているから「プロ」かというと彼らはそういう認識はなく、「セミプロ」だと自身で言う。選手の多くが兼業しているヨーロッパやオーストラリアではギャラを支払えば「プロ」と名乗るが、メキシコ人の認識はアメリカ人と同じで、プロとはシーズン中は野球に専従することを言うみたいだ。その上、入場料はタダ。そのせいか、500にも入れば満員のスタンドは試合が始まってしばらくすると満員に膨れ上がっていた。 ちなみにビジターチームの名、「ディアブロス」はメキシカンリーグの名門と同じ名だ。このリーグには、メキシカンリーグ各球団が契約を結んだ、アカデミーの選手も参加しているが、選手派遣契約でも結んでいるのかと思ったのだが、そうではなく、メキシカンリーグ球団との関係は一切ないという。とはいうものの、ユニフォームのロゴなどは本家と全く同じだ。問題ないのかと聞いたが、大丈夫とのこと。いかにもおおらかなメキシコらしい。 審判はメキシカンリーグから派遣されているようで、審判員にオフの仕事を与えてもらっている以上、メキシカンリーグもあんまり細かいことには口を出せないのかもしれない。 決勝シリーズ開幕ということで、試合前には、リーグ戦の表彰式が行われた。これが間延びしたせいもあり、試合開始は予定を15分以上遅れ、12時46分に始まった。試合が始まる頃には、空席が目立ったが、いつの間にかバックネット裏にあるこじんまりしたスタンドはほぼ満員になっていた。外野のフェンス越しにも立ち見の観客がちらほらいる。 試合が始まるとスタンドはお祭り騒ぎだ。太鼓隊やトランペットの応援にマスコットのゴリラも大はしゃぎだ。売り子も出てきてスナックや応援グッズを売り歩いている。このリーグはメリダっ子の週末の娯楽としてすっかり定着しているようだ。これならメリダ市も税金投入するいいわけも立つというものだ。私は、スタンド前の屋台のブローシェット(焼き鳥)のにおいに誘われた。ボリュームたっぷりで50ペソ(300円)。ビールがほしくなるところだが、あいにく昼間の試合とあって場内ではアルコールの販売はなく、道行く人に尋ねたところ、1ブロック先にビール屋(メキシコではアルコールを販売しているコンビニなどは多くなく、「セルベッセリア」というビール専門店がある)があるというので、そこで1本所望した。人間考えることは同じようで、スタンドの男たちは、試合中そのセルベッセリアに足を運んでいた。
(選手のヘルメットは、皆バラバラ。スアレスはかつて所属していたティグレスのヘルメットで試合に臨んでいた) 試合の方のレベルは、だいたい日本の独立リーグくらい。メキシカンらしくメタボ気味の選手もいるので、スピード感にはやや欠けるような気がする。ただ外野手の強肩には目を見張るものがあるし、メキシカンリーグの選手やキューバ、ベネズエラ、ドミニカからの助っ人外国人が打線に迫力を加えている。何と言っても観客の盛り上がりが、試合を「プロ野球」っぽくしていた。
↧
メキシカンパシフィックリーグ・レポート1:グアダラハラ・エスタディオ・チャロス
ハリスコ州グアダラハラ。メキシコ第2の都市だ。スポーツではサッカーが圧倒的人気でこの町のチーム、グアダラハラと首都メキシコシティのンクラブ・アメリカとの対戦は伝統の一戦、クラシコと呼ばれている。日本で言えば、大阪のようなところか。 しかしながら、野球人気はいまひとつで、かつて夏のメキシカンリーグのチームがあったが、ずいぶん前になくなってしまっている。それでも近年は野球人気も高まってきているのか、今年春に開催されたWBCメキシコラウンドは、首都メキシコシティに適当な球場がないこともあり(前回使用した2万5000人収容のフォロソルは、野球から撤退し、現在はコンサート会場専用に戻っている)、この町で開催された。メキシコで野球と言えば、北部の工業都市、モンテレーが有名だが、来年はメジャーの公式戦も開催されるこの町をさし置いてこの国際大会が開催されるのは、メキシコ球界がこの大都市を重要なマーケットと位置付けているからなのだろう。春のWBCに続いて、この冬のシーズン後にはカリビアンシリーズが初開催されることも決まっている。 そういうことから、ぜひともこの町のチーム、チャロス(カウボーイの意)にはリーグ優勝してもらいたいところなのだが、残念ながら、現在、メキシカンパシフィックリーグの下位に沈んでいる。 この町の長距離バスターミナルは、市バスで1時間もかかる郊外の町にある。将来的には都市鉄道で結ばれるようで、現在ターミナル前に高架ができているのだが、しばらくは不便を強いられる。 ターミナルにはWBC仕様のバスが停車していた。 球場も市内ではなく郊外の町にありこれがなかなかアクセスしにくい。地下鉄の駅構内にチャロスのショップがあったので、ここで球場への行き方を尋ねると、北行きの電車の終点まで行き、バスに乗り換えろという返事が返ってきた。まあバスで直接行くよりはその方が速いだろうと、終点まで15分ほどかけて行き、そこでバスに乗り換えた。現在2路線あるうち南北を結ぶ路線は町を囲む環状道路が終点らしく、ここから西行きのバスの運転手に声をかけると、球場まではいかないが「近く」まで行くということなので、これに乗った。コンベンションセンターらしき大きな建物が見えたところで降ろされる。ここまで計30分。 しかし、ここからが結構歩かされる。直線距離なら1キロくらいだが、ガードマンが見張るハイソな住宅街を通って球場に着くと市の中心からおおかた1時間かかった。距離にして10キロほどなのだが、アクセスは非常に悪い。 ちなみに2日目はセントロ(町の中心)からの地下鉄を途中のアビラ・カマチョ駅で降りバスで向かったが、ここも球場近くを通るバスを捕まえるのに一苦労、やはり1時間くらいかかった。この駅が将来的には球場前まで行く鉄道の乗り換え駅になるようで、現在ここから球場方面へ延びるアビラ・カマチョ通りの上を線路の高架が走っている。 おまけに試合後はなんと公共の交通機関はほぼない。試合開始が7時過ぎなので通常試合が終わるのはだいたい10時過ぎ。この町のバスや地下鉄は11時には終わるので、試合が少し長引けば後はタクシーくらいしかない。この日も、試合後選手のインタビューなどをして10時半ごろ球場を出て、表通りのバス停に行ったが、郊外方面行はまだバスがあったが、グアダラハラ市内方面のバスは結局来なかった。タクシーかと思ったが、幸い同じくバスを待っていた若者3人組が白タクを捕まえたので、これに便乗させてもらった。彼らとともに、深夜までにぎわう飲み屋街で下車、誘われたのでバーでミッチェラーダ(タバスコなどが入ったビールのカクテル)をあおった。彼らはこの日のビジターチーム、マサトランのファンで、明日はクリスマスの帰省を兼ねて、バスで太平洋岸のマサトランに移動、観戦するという。メキシコ第2の都市ということもあってこの町には地方出身者も多く、そのためビジターチームのファンも多い。 球場前も現在、高架鉄道が工事中で2020年にはアクセスもしやすくなるらしいのだが、一体今は皆試合後どうやって帰っているのか聞いたところ、やはりタクシーかウーバー、それが嫌ならバスのある時間に切り上げるのだという。バスのあるうちに帰れば、道は空いているので、セントロまで30分くらいで行く。 ともかくもWBCも開かれたこの町の球場は、その名もまさに「エスタディオ・チャロス」。スタンド入り口正面には、メキシコ人メジャーリーガーのパイオニアと言っていいい、あのフェルナンド・バレンズエラの銅像がある。またスタンド外の球場敷地内には、この町で活躍した往年の名選手の胸像もあり、その中にはブリュワーズなどで活躍したテディ・ヒゲラのものもあった。ヒゲラは1985年、前年限りで西武を退団した江夏豊とメジャー枠を最後まで争い江夏に引導を渡した投手だ。彼はこの年二ケタ勝利を挙げ、スターダムにのし上がった。 メキシコでは、資本関係など関係なく、その町にあった野球チームは同じ系譜に位置付けられ、チーム名も同じものをつけることが多い。たとえて言うなら、福岡ソフトバンクホークスは西鉄ライオンズの後継球団で、名前も「福岡ライオンズ」であるべきなのだ。ここで顕彰されている選手たちはかつてのサマーリーグのチャロスに貢献した者たちで、こういうところにメキシコ野球の特色が現れている。 エスタディオ・チャロスは、外からメインスタンドを見ると、野球場とは思えない。それもそのはずで、もともとは、2011年のパンアメリカン大会の陸上競技会場として造られたものなのだ。大会終了後、サッカーに利用しようにもすでにサッカークラブ、「グアダラハラ」は立派な競技場をもっており、その必要はない。ならば野球にと、2014年にウィンターリーグのアルゴドネロス・デ・グアサーベを誘致し、新生チャロスとし、その本拠としたのだ。 野球に使用するに際し、2層の横長のメインスタンドの下に野球用のフィールドを囲むように桟敷席を新造し新たに野球場としてスタジアムを利用することにしたのだ。したがって上層スタンドは端に行けば行くほどフィールドから離れていき、下層のスタンドも座席は 内野フィールド方向に席がついているわけではない。正直野球観戦には適した球場だとは言い難い。左翼右翼のポール際に行くほど上層スタンドと下層スタンドの隙間が広くなっていくが、ここには売店を設置してスペースを活用している。
1,3塁側にできてしまう広大なスペースにはレストランが設けられ、生演奏のスペースまであるのは、いかにもマリアッチのふるさとであるこの町の特色が出ている。 また、映像で見る限りWBCの際は外野席があったが、仮設スタンドだったようで、現在はフェンス際に4箇所ほど、レストラン席が設けられていた。その奥には競技場のサブスタンドの土手がいまだ残っており、仮に野球チームが撤退しても、競技場に再利用できるようになっている。(スタンドにあったメキシコの「すし屋」。日本のものとは全然違うが)
↧
メキシカンパシフィックリーグ・レポート2 メキシコでみた日本野球
今回、グアダラハラでの取材は2試合。日本ゆかりのある選手が何人かいたので紹介する。 まずは、この人、ルシアノ・フェルナンド。楽天からオコエとともに修行にやってきた。1試合目のビジターチーム、ベナドス・デ・マサトランの一員として参加していた。彼がオコエとともにメキシコに来ていたことは知っていたが、不覚にも各チームのロースターを確認した際、見逃していた。確かに、ロースター表で彼の名を見ても普通に現地人選手だと思ってスルーしてしまうだろう。なんとか浮上のきっかけをつかみたいとウィンターリーグ参加を直訴してのメキシコ行きだったという。しかし、体調不良もあり、成績は今ひとつで、取材した日も、途中出場で試合終盤に打席がまわってきたものの、メジャーを代表する中継ぎだったセルジオ・ロモの外角低めのチェンジアップを見逃し三振に終わった。(ロモ) ちなみに昨年のサムライジャパンの試合でメキシコ代表の一員として来日していたロモ。非常にフレンドリーで、試合前はゲストやファン、報道陣と気軽に写真撮影に応じていた。アメリカ生まれなので、外国人枠でのロースター入りだが、スペイン語はペラペラで、現地ではメキシコの英雄とみなされている。 メキシコ代表のメンバーとしては、フェルナンドと同じマサトランの主軸、ホセ・アギラールも来日メンバーのひとりだ。フェルナンド曰く、「パワー、やばいですよ。日本でも十分できますよ。でも、同じ外野なんで、紹介はしないですけどね」とその打撃技術を絶賛していた。 マサトランのメンバーでは、あと、エステバン・キロスも来日メンバーの一員だ。彼は東京ドームのレフトスタンドにホームランを放っているので、覚えている人もいるかもしれない。彼は春のWBCのメンバーにも選ばれ、夏のシーズンはティグレスからレオーネスに移籍、レッドソックスとの契約にこぎつけている。取材した試合では、本職の内野ではなくDHで出場していたが、メジャー球団との契約後で、怪我を恐れてのことかもしれない。 ホームチームのチャロス・デ・ハリスコの主力は日本でもおなじみのメンバーだ。主砲はジャフェット・アマドール。楽天のアマダ―だ。日本では巨漢にみえる彼も、マッチョの多いメキシコではさほど大きく見えないから不思議だ。 もうひとりも楽天でプレーしたアグスティン・ムリーヨ。彼は夏は名門モンテレーの不動のサードでメキシコを代表する選手なのだ。奥さんも日本が気に入っており、戻りたいとは言っていたが、日本での成績がいまいちだったので、それは難しいだろう。両名とも、もちろんWBCのメンバーに入っている。 2日目のビジターチームにはコーチに懐かしい顔が。 ペドロ・カステヤーノの名前を憶えている人ももう少ないだろう。ベネズエラ人の彼は、メジャーでもプレーし、1997年に1シーズンだけ巨人でプレーしたが、力を発揮することはできなかった。その後は、メキシカンリーグでプレーし、現在は夏、冬ともメキシコでコーチ業をしている。 レベル的には、フェルナンド曰く、「日本の1軍と2軍の間」くらいらしい、メキシコ。ここには日本にゆかりのある選手がゴロゴロいる。
↧
杉谷拳士、オーストラリアへ。
日本ハムの杉谷拳士がオーストラリア入りしている。今回は個人参加ということのようだが、オーストラリアのウィンターリーグ、ブリスベン・バンディッツに合流、体を動かし始めている。練習ではバッティングピッチャーもつとめたという。 関係者の話によると、年明けにはロースター入りし、実際に現地プロリーグのゲームにも出場する可能性もあるという。 またこのウィンターリーグ、ABLには社会人野球のホンダが昨シーズンに引き続き、選手派遣を実施し、今季はアデレード・バイツに、阪神からドラフト指名も噂された幸良諒(こうらりょう)が派遣され、最近ロースター入りしている。西武からメルボルン・エーシズへの派遣も引き続き行われるなど、季節が逆という点を生かした日豪間の野球選手の交流はますます盛んになってきている。
↧
↧
パナマウィンターリーグ・プロベイス、ファイナル開幕
パナマウィンターリーグ、通称プロベイスのファイナルシリーズが1月2日に開幕した。レギュラーシーズンが1月上旬まで予定されていたが、突然、年内の打ち切りが選手に通告され、12月29日にパナマシティで予定されていた最終戦も昼間に雨が降ると早々にキャンセルが決定。そのまま上位2チームのロス・カバジェロス・デ・コクレとブラボス・デ・ウラカが5戦3勝制の決勝プレーオフを行うことになった。第1戦はカバジェロスの本拠、アグアデュルセのエスタディオ・レモン・カンテラでナイターで行われた。 首都パナマシティからバスで3時間。パンアメリカンハイウェイ沿いにある人口9000人に満たない小都市アグアデュルセ。その昔、スペイン人の征服者がここにたどり着き、泉に湧く水を飲んだ時、その甘さに驚き、「デザートのような水」と呼んだのが町の名の由来らしい。先住民の時代から製塩が盛んで、スペイン人入植以降砂糖栽培の盛んになり、塩と砂糖の町として知られる。 こじんまりとした町の端、住宅街のその奥にあるのがレモン・カンテラ球場だ。かつての大統領の名に由来するが、彼は野球ではなく競馬が好きだったという。 この国は野球人気が高いが、シーズン打ち切りからわかるようにプロベイスの人気はさして高くない。最終的には500人弱の観客が訪れていたが、7時の試合開始時には40人ほどしかスタンドにいなかった。 マイナーリーガー主体のこのリーグだが、中には「俺はマツイカズオと一緒にやっていたんだ」と声をかけてきた選手もいた。マニュエル・コーパス。パナマ生まれの35歳。ロッキーズでリリーフとして通算7シーズン、13勝20敗の成績を残している。ここ2年は独立リーグ最強のアトランティックリーグでプレーしている。 試合は、カバジェロスは地元アグアデュルセ出身の元メジャーリーガー、デービス・ロメロ(元ブルージェイズ)
ブラボスはベネズエラ人右腕アンソニー・オルテガ(元ドジャース)の先発で始まった。 初回、両軍とも先頭打者をいきなりエラーで出すというファイナルらしからぬ形で試合は動き出した。 1回表のブラボスの攻撃はデュランゴがセカンドゴロエラーで出塁、盗塁を試みた。キャッチャーの好送球でタイミング的にはアウトだったが、タッチが遅れセーフの判定。ところが野手の抗議の後、なんとこれが認められ、走者がアウトになってしまった。 その裏の攻撃も先頭のサードゴロを難しいバウンドながらうまくさばいたが送球がワンバンとなり、エラー。カバジェロスのいきなり盗塁を仕掛けたがこちらもアウトになったしまった。先制したのはホームのカバージョス。2回裏四球のあと5番指名打者のサンタマリアが両軍初安打を放つと、7番の捕手サンチェスがうまくライト前へはじき返した。しかし、これはブラボスのライト、昨年阪神でプレーしていたネルソン・ペレスがレーザービームの返球でランナーはホーム憤死。2アウトとなりチャンスはついえたかのように見えたが、ここから8番カスティージョが先制のレフト前ヒットを放った。 これに対し、ブラボスもその直後の3回表、さきほど強肩をみせたペレスなどのヒットで塁を埋めると、7番のモンティージャがピッチャー強襲の内野安打を放ち追いついた。 このあと試合は元メジャーどうしの投手戦となり膠着状態に陥った。7回終了まで両軍4安打ずつ。しかし、8回裏、先頭のサンチェスがこの日2本目となる安打で出塁すると、続く8番カスティージョのバントをなんと1塁ベースカバーに入ったモンティージャが捕球ミス。タイミングが合わなかったのか、送球が走者と重なったのか、実に平凡な送球だったので悔やまれるプレーだった。 このあともカバージョスはバントの構えをみせる。しかし、ボールが続いたあと、ベンチはバスターを指示、打席の9番ビショップはこれに応えセンター前にもっていき、カバージョスが土壇場で決勝点をもぎ取った。この後も引き続きノーアウト1,2塁のチャンスは続いたが、1番ムニョスはスリーバントを試みるも、ピッチャーがうまくさばきランナーサード憤死(セーフのようにも見えたが)、後続も追加のランナーを迎えることなく9回のブラボスの攻撃を迎えた。 9回のカバージョスのマウンドに立ったのはロカンボ・アコスタ。ブラボス打線は、このアコスタに襲いかかる。ランナー1塁からペレスがこの日2本目をライト前にはじき返すとスタンドというより、3塁側のブラボスベンチはお祭り騒ぎに(ちなみにパナマのファンは応援すると言うより純粋に試合を楽しむといった風が強く、あまりホーム一辺倒の応援というものはない)。(ネルソン・ペレス) しかし、結局、このランナーは帰ることなく、カバージョスが短期決戦の頭を取った。
↧
パナマ プロベイスの憂鬱
アグアデュルセからプレーオフ第2戦の行われるブラボスの本拠、サンチアゴへ向かう。ワゴン車を利用したミニバスで1時間。車内は冷房も効き、提示発車。ニカラグアに比べると心地のいい旅だ。パナマに来て6日目、それまで常に曇天で雨の降らない日はなかった。昨日も、パナマシティを出た途端に大雨となり、試合は中止かとひやひやしたが、アグアデュルセは雨の降った気配がなく、無事試合が実施された。この日は見事なまでの晴天、気温もぐんぐん上がってまさにパナマのイメージだ。 この町は、人口9万、首都パナマシティを除けば、プロベイスで1番大きな町だ(あとひとつの町、チトレは9000、周辺人口を入れて8万)。と言っても木戸銭タダのプロベイスではマーケティングなどないので、フランチャイズの人口など意にも介していないとは思うが。 スタジアムは、ターミナルから2ブロック。非常に便利がいい。とりあえず足を運んでみると、昨日の球場と全く違い、2層式の巨大なスタンドもつ立派なものだった。スタンドの下には練習場があるようで、バットがボールを叩く強い音が鳴り響いていた。 ターミナル前の安ホテルに投宿したとたんに、大雨となった。つい数分前までのピーカンの空が嘘のようにどす黒く染まる。そのあとはまさにバケツをひっくり返したような大雨だ。試合が行われるか不安に思いながら、つながらないWifiに業を煮やしてフロント前前まで出てくると、野球帽をかぶった見た顔が目の前の部屋から出てきた。声をかけると、はたしてブラボスの選手だった。名を聞くと、昨日セカンドで出場していたモンティージャだった。あとでわかったことだが他の選手は郊外のホテルを寮としているが、彼だけはなぜかここで暮らしている。彼になぜここにいるのか聞くと、パナマ人の彼は自分の家は遠くにあるので、球団がここを借りてくれたと言うのだが、それは他の選手と違う宿、それも格段に質の落ちる宿を取っている理由にならない。どうもこの宿は連れ込み宿兼用で、カップルが次々と訪れている。 モンテージャは、4時前に練習だと言って宿を出たが、激しい雨に進めなかったのかすぐに戻ってきた。一度部屋に戻り、ロビーにいた私にチームから送られてきたシートのかぶせられた内野フィールドの画像を見せ、「中止だよ」と言いながら再びホテルを出て行った。出て生きざま、中止の際のスケジュールを聞くと、「知らない」と言って去っていった。
(シートのかぶせられた内野フィールド) 雨は1時間ほどで一旦止んだ。支度をしてスタジアムに向かう。入り口に選手がいたが、幾分線の細い彼らはアマチュアチームの選手だった。プロベイスの選手たちは内野スタンドの両端の練習場で試合を待っていた。中央の事務所で試合は行われる予定だと確認して、まずは1塁側ビジターのカバジェロスの方へ向かう。スタンド下の練習場ではトスバッティングが行われていた。この練習場はそのまま選手ロッカー、ベンチにつながっていたが、昨日のいかにも田舎の球場と言ったアグアデュルセのものとは違っていた。ロッカールームにはシャワーが備えられ、ホームチームの3塁側には奥にウェイトルームまであった。 投手陣は外野フィールドでキャッチボールを行っていた。その中には昨日の先発投手、デービス・ロメロの姿もあった。回転のいいボールが50メートルほど先の相手のグラブに収まってゆく。 練習後彼に尋ねた。今は夏のシーズンはどうしているのかと、2002年のトロント・ブルージェイズのマウンドに立った彼も、2007年以降はプロの記録に残るマウンドに立っていない。今や選手が自己紹介代わりに使う記録サイト、Baseball Referenceには、日本の独立リーグ、アメリカの底辺独立リーグ、ウィンターリーグのラテンアメリカシリーズ組のメキシコ・ベラクルス、コロンビア、ニカラグア、そしてパナマリーグのはスタッツはいまだ掲載されていない。 聞けば彼は、現在も夏もニカラグア、パナマのアマチュアリーグでプレーを継続しているらしい。両国のサマーリーグは国の保護の上、運営されているのでアマチュアリーグと言いながら報酬が支払われる。(デービス・ロメロ) 結局、試合はその後再び降り出した雨のため中止となった。スケジュールは、そのままここで順延ではなく、当初予定のとおり明日はアグアデュルセへ帰り、その後ここへ戻ってくるらしい。 選手たちは、試合開催を見込んですでに開店していた球場正面のタコス屋でメキシカンを買ったり、あるいはターミナル方面まで行って、夕食を買いだしてバスに乗り込んで行った。 あんたはホテルに戻らないのかい?と聞いてきた、同宿のモンティージャの声を流して私は球場の2層スタンドへ足を運んだ。この町では最高層建築物のこのスタンドの最上部からは町の風景が一望できた。眼下の風景以外は一面の森林で、この町がさほど大きくないことがわかる。皮肉なことに中止が決まったあとの西の空は赤く輝いていた。 試合中止の判断が間違っていないことは、その後降った雨が証明してくれた。ベッドに大きなぬいぐるみの置かれたホテルの部屋で同棲生活をしているモンティージャは、雨の中、夜の街へ消えて行った。ホテルのフロントのニュース番組は、スポーツコーナーは、最初に今週末から始まる15歳から17歳までの青少年リーグの練習の模様を伝え、その後、国内、海外のサッカーについて伝えた後、そのまま終わってしまった。夕食後立ち寄った近くのバーでみた新聞にも青少年リーグについては記事があってでもプロベイスについてはなにもなかった。週末から行われるこの大会は地上波のテレビ放送もされるようだ。バーのマスターに聞けば、プロより青少年リーグの方が人気が高いらしい。理由を尋ねると、「プロは4球団、でも青少年リーグは各県からチームが出てくるからね」という答えが返ってきた。これがパナマプロ野球の現実のようだ。
↧
パナマリーグ・プロベイス、優勝チーム決定、カバジェロス・デ・コクレがラテンアメリカシリーズへ。
気まぐれなスケジュール設定に、急遽サンチアゴに戻ることになった。 当初5日の金曜はオフで、6,7日の土日についてはシリーズの趨勢に応じて発表ということだったが、サンチアゴでの第2戦が試合前の雨でキャンセルされたせいか、パナマシティに戻って数少ないプロベイスの情報であるTVMAXのサイトを調べると、4日の試合にカバジェロスが勝利、シリーズに王手をかけ、5日にサンチアゴで試合をすることになったと書いてある。6日の深夜帰国に途に就く予定だったので、パナマシティでゆっくり過ごそうかと思っていたが、そうもいかない。急遽サンチアゴに戻ることにした。 しかし、天気予報は最悪。サンチアゴまでは約200キロ、バスで4時間。ぎりぎりのタイミングまで待ってバスに乗った。乗った途端の大雨。おまけに大渋滞でさっそく車は動かない。幸いサンチアゴでは雨は降っておらず、バスがサンチアゴの町に入ると、ナイター照明がともっているのが見えた。 試合は3回まで進んでいた。初回にビジターのカバジェロスが3点を入れ、2回裏に後のないブラボスが1点を返している。 優勝が決まるかもしれないというこの大一番にもかかわらずスタンドは閑散としていた。2層式の巨大な内野スタンドには150人ほどの観客しかいなかった。熱狂的な声援もないその様子はアマチュア野球のそれだ。スタンド内には出店も出ておらず、盛り上がり的には田舎町のアグアデュルセの方が上だ。飲食店と言えばスタンド前にひとつ、タコスやホットドッグなどを売る小屋があるだけだ。アグアデュルセのそれと同様、注文まで随分と待たされる上、注文からもさらにまたされる。大した客数をさばくわけでもないのに、まともに待っていれば、1イニングは見逃すことになる。腹が空いていたが、ここで食べるのはあきらめた。
(ブラボズでひとり気を吐き2安打を放った捕手のレイナ)試合は中盤まで3対1のまま膠着状態に。6回にようやくブラボスが意地を見せ、1点を返し、8回裏にさらに同点のチャンスを迎えた。ここでカバジェロスベンチは、クローザーのアコスタを投入、後続を断ち切った。 最後はドミニカ人クローザー、アコスタがイニングまたぎで9回を3者凡退にとって、カバジェロスの勝利。優勝の瞬間もスタンドは歓声が湧くこともなく、ファンは、ああ試合が終わった、みたいな感じでそそくさと家路についていった。 フィールドはそれなりに湧いた。バッテリーが抱き合い、ベンチから選手が飛び出し、そのあとに監督、コーチ陣が続く。ただし、マウンドで輪を作るのは選手だけで、指導者たちはいつもの勝ちゲーム同様、ベンチまで選手たちをハイタッチで出迎えただけだった。 その後、このリーグを取り上げる唯一のメディアと言っていいTV-MAXによる監督インタビューが行われた。記者に呼び出されてベンチ前に出てきたフリオ・モスキーラ監督にひとりの選手から氷水の祝杯が浴びせられた。「冷たいよ」とモスキーラ監督はユニフォームを脱いでインタビューに応じた。 優勝らしいシーンはそれまでだった。チーム一同の写真を撮ることもなく、選手たちは帰り支度を整えるためロッカールームへ消えて行った。チームはこの後、月末にニカラグで開かれるラテンアメリカシリーズに出場するが、それまでの2週間強の空白期間についてコーチに尋ねたが、まだ何も知らない、という答えが返ってきただけだあった。 ストレート負けでシリーズを逃したブラボスの一同は、すでに荷物をまとめていた。シリーズ終了の瞬間にチームは解散する。来シーズンは、メンバーを大幅に入れ替えたチームに変わることだろう。そもそも来シーズンにこのチームが合うかどうかもわからない。一同にとってそんなことは大きな関心事ではなく、この夏、どこでプレーするか、これからリクルート活動が本格化する。昨年は阪神に在籍していたネルソン・ペレスは、すでに四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに行先が決まったという。 ブラボスの一同はロッカールームで監督の訓話を聞いた後、解散した。明日には皆、家庭に戻るのだろう。 こうして、パナマリーグ、プロベイスの2か月半弱の短いシーズンが終わった。 翌朝、2紙ほど目を通してみた。しかし、ともにプロベイスのチャンピオン決定についてなにも報道していなかった。(この試合、2安打で打点もあげ活躍したガザウェイ)
↧