伝説の日本人チーム、サムライベアーズ――それで、2005年のシーズン途中に再びアメリカのプロ野球に復帰でしたね。独立リーグのサムライベアーズに。「前のシーズンはビザの問題でいろいろやってたんですけど、冬にまたオーストラリアへ行ったんです。そしたら、オーストラリア人を日本に連れてって、都市対抗野球目指そうというチームをやるから、それに参加しろっていう話が出てきたんです(ウェルネス魚沼)。自分もそれ面白いなって思ったんで、そのチームに参加させてもらうことになったんです。それで新潟に初めて来ることになったんです」このチームは、専門学校が経営する社会人野球のチームだったが、メンバーのほとんどを占めるオーストラリア人の「助っ人」たちは、給料をもらいながら野球だけに専念できた。青木も同様の待遇を受けていた。しかし、そういう「プロ」集団でも目標とする都市対抗には届かなかった。「給料ですか、僕は小遣い程度だったですけどね。結局チームは新潟予選で負けてしまって、そこで解散ってなったんです。結局、なんか単発の企画に終わってしまったです。初めからそういうことだったのかはわかりませんが」――その時点でまだ5月。「で、さあ、どうしようとことになったんですが、すぐにサムライベアーズにコンタクトをとったんですよ。サムライのことはもっと前から知ってましたけど、ウェルネスが決まっていたのでそれを優先させてたんです。確かホームページに連絡先があったんで、直接電話したんですよ。で、すぐ、選手必要だから来いって。実は今から、日本から行く選手がいるから一緒に来てくれ。確かその時は、ビザをちゃんととったと思います。自分で、たぶん。覚えてないけど。でも、僕の場合は10年の観光ビザでそのままやっちゃったかもしれないですね。(マイナー選手用の)H2-Bとかそんなのは取れませんでしたから、なんだっけなあ、B2?」―で、サムライ合流、最初の印象は?「まあ、いろいろひどい状況だって聞いてはいたんで、決してすごくはないなっていう印象でしたね。僕らが言ったタイミングで、選手がいくらか入れ替わっていたのは知ってました。確かに、ウェルネスの方がレベルは高かったですね。あのチームは一応オーストラリア人を二十何人引き連れて、その中にはオリンピックの代表とかもいましたからね。前年のアテネの銀メダリストが6人いましたから。まあ、日本でやってたらどうかなっては思いますが、ウェルネスが都市対抗の予選で負けてますからねえ、少なくとも、僕が合流した最初はそういうレベルでした。シーズン終わりにはずいぶんよくなりましたけど。やっぱり個々の選手も成長したんだと思います」――青木さん自身は?「僕自身、結果はそんなに良くなかったですけど、やっぱり、毎日試合出ることによって、経験値ってのがプラスされていったんで、すごく成長できたなと思います。――途中加入ということでしたけど、チームには溶け込めましたか?「そうですね。僕も、それまでアメリカでやりたいって言い続けてきた人間なんで、日本人とうまくできんのかなっていうのは最初ありましたね。どっかでやっぱり、日本人と野球やりたくないって言う気持ちがあったんですよ。ちょっとどうかなっていく気持ちで最初サムライに入ったんですけど、意外にメンバーたちが自分たち途中加入組を受け入れてくれたんで、それに彼らの野球に対する情熱ってのを感じて、そのうち、『居心地いいな』ってなりました」――そのサムライベアーズの所属するゴールデン・ベースボール・リーグには元メジャーの選手も在籍していました。「いましたね」――そういう選手と対戦していて、印象に残る試合はありましたか?「試合っていうか、リッキー・ヘンダーソンがまだ現役だったってことですかね。試合をしたときに、南容道(内野手・元法政大学→レッドソックスマイナー)なんかは一緒に写真を撮ってもらったんですが、僕は乗り遅れてしまって、撮れなかったんですよ(笑)。当時、彼が何歳だったのか、僕は知りませんでしたが、果敢に次の塁を狙う姿を見た時には、『さすがプロだな』って感心しました」―――現役16年。世界中をバット一本で渡り歩いた青木選手ですが、ご自身の野球人生を振り返って、最後にひとこと。「経験積めば、まだまだうまくなる。そう思いますね。今年に関して言えば、まだオフレコなんですけど、僕もう今年で辞めるんです。その上でシーズンに望んでいるんです。まだ監督には伝えてはいなんですけど。自分の中で決めてます。球団にはもう言ってるんですけど(注:インタビューを行ったのは5月)。」 今シーズン、青木はコーチの肩書を外した。実はこれについては、球団からの「肩たたき」だと地元記者から聞いていた。しかし、青木はこれを否定した。「自分から(の申し出)です。そんなことないですよ」 シーズン開幕時点で、青木にはある種の決心ができていたのであろう。青木は、「その後」についてはこう語ってくれた。「別に決まってるわけではないですけど。それはそれで就職活動しながら。まあ、野球から全然離れてもいいかなって思っています」
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