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Channel: 野球:海外/独立リーグ
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独立リーガーその後:滝口和眞③

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 再び路頭に迷うことになった滝口だったが、「捨てる神あれば、拾う神あり」の言葉通り、ここでも新たな移籍先が見つかった。  しかし、それが「神」だったかどうか、滝口はいまだわからない。 新しいチームは、野球で給料は払わないかわり、親会社が系列先に仕事をあっせんしてくれるという甘い言葉を用意してくれていた。  「夢を追いながら、引退後のキャリアにつながる仕事ができるよ。もちろん、同じ会社がやっていることだから、野球を優先させてあげる」 今から思えば、ずいぶんと虫のいい話だったのかもしれない。そのチーム、大阪ホークスドリームが好調だったのは、開幕当初だけで、その後は低迷を続けた。当初の話とは全く違う、仕事中心のシフトのせいであることは誰の目にも明らかであった。練習に出ることさえままならなかったのだから。そして、シーズン途中での監督解任と、指導者の交替。このような状況に、選手みんなできちんと野球をやらせてほしいと直談判に行ったが、球団の対応に世の中の現実を思い知らされた。「まずは仕事してもらわなくっちゃ」 時にはメンバーを試合に集めるにも困ったなか、チームは最下位ながらも、何とかシーズンを終えた。滝口自身も野球に専念できない環境の中、独立リーグ初勝利を含む2勝2敗を挙げたたが、防御率は5点近くまで落としてしまった。そしてシーズン後選手のほとんど全員がチームを去った。チームもまた、翌シーズンの関西独立リーグへの不参加を発表した。 この時点で、区切りにしていた三シーズン目が終了した。大阪ホークスドリーム時代の滝口

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