ニューメキシコ州アラモゴードからハイウェイ54号を南下すること140 キロ。アメリカの感覚では1時間ちょっとのドライブだ。ここでハンドルを握っていると、日本の高速道の制限速度が一般道の感覚になる。なにしろハイウェイでは80マイル(120キロ)が事実上の「最低速度」なのだから。 ダウンタウンに入る前に、町を見下ろすシンボル的存在の岩山に登る。この岩山に登る小さなロープウェイはこの町の名物で、昼下がりの乗り場には長蛇の列ができていた。8人ほどが立ち乗りするゴンドラには案内人が乗っていたので、旧球場コーエン・スタジアムの場所を聞くと、先ほど走って来た方向を指さして、まだそれはあって、アマチュア野球が使っていると説明してくれた。岩山から町を一望してからダウンタウンへ向かう。2014年に新造された球場には、地元銀行がスポンサーとなり「サウスウェストユニバーシティ・パーク」の名がつけられている。初めは大学の球場なのかと思ったが、銀行の名前のようだ。アメリカの多くの町の球場同様、鉄道駅の隣のおそらくは貨物ヤードだったところに3Aチーム誘致のため造られたらしい。おかげで、この町で、かつての2Aチームの名、「ディアブロス(スペイン語でデビルの意)」を引き継いで頑張っていた独立リーグのチームは追い出されてしまった。サンディエゴ・パドレスの傘下に入った新チーム発祥の地、チワワは国境を越えてそれほど遠くない距離にある。 近年、というかここ20年ほどのアメリカの現象として、郊外に造った球場を市街地の真ん中に移転させ、プロ野球チームを誘致するということがある。アメリカの球場は、モータリゼーションの発達により、郊外のハイウェイ沿いに移転したが、1980年から90年代にかけて、市内の中心の荒廃が問題となった。私が初めてアメリカに足を踏み入れた1991年あたりだと、夜のダウンタウンは危険で一人歩きなどもってのほかと言われていた。この時は、メジャー11試合を観戦したが、極力デーゲームを選んだせいもあって、ナイター観戦は4試合に過ぎなかった。初めてのアメリカということもあり、とにかくナイター後、宿に帰るまで、異常に緊張したのを覚えている。ともかく、1990年代は、余程の大都市でもなければ、ダウンタウンはゴーストタウンのようにさびれていた。 これがまず、メジャー球団のある都市から変わっていった。郊外や、市内でも少々治安に問題のある地区に建てられていた球場を、町の中心に新造された、レンガ造りの外観をもつネオクラシック調の新球場に移していったのだ。用地には物流の合理化によって空き地となった港湾地区や鉄道施設があてられた。 この流れはやがてマイナーにもやって来た。数年前、私はオハイオ州コロンバスの3A球場を取材したが、この町も、町はずれの墓地近くにあった球場を町のど真ん中に新造し、町の活性化に役立てていた。 というわけで、同じ流れの中に造られたエルパソの新球場も、コロンバスの球場そっくりだった。外観はもちろんネオクラシック。市中心部に面した通りからは、なんと金網越しにフィールドをチラ見できる箇所がある。それも、またブルペン越しに。ネット書籍なんかでは、数ページをタダで見せて、続きを買わせようとするのがあるが、発想としてはそれと一緒だ。この試みは、日本でもマツダスタジアムでもなされているが、すでにコロンバスの球場でやっていたものだ。 また、近年、マイナーではそれまで外野席などはほとんど設置されていなかったが、野球を観るのではなく、ボールパークを楽しむ、スペースとして利用する例が多くなってきている。日本でもそうだが、球場にやってくる観客で純粋にゲームだけを観に来るのは少数派だろう、そういう客が外野に多いのは、日本の各球場の外野席の応援風景を見れば簡単に理解できる。アメリカには日本のような応援文化がない代わりに、外野に飲食や遊びのスペースをもうけて、子ども連れやグループ客を招き寄せようとしている。 エルパソでは、センターバックスクリーン近くに噴水が設けられ、そこでは子どもたちが試合そっちのけで水遊びに興じている。その噴水スペースの前は芝生席。ここでは子どもたちが親の目の届くところで走り回っている。 ライト側には2つビルが建っていて、そこにはバーレストランが入っている。この試みは先に紹介したコロンバスにもあった。コロンバス球団のスタッフの話では、このスペースは、野球観戦よりも飲食をメインにしたグループ向けのものらしい。入場料の10ドルはチャージと考えれば、ちょっと趣向を凝らしたパーティーが楽しめるということなのだ。もちろん普段見ないアングルから食事をしながらじっくり野球を観たいと言う需要にも応えて、フィールドに面したカウンター席もある。日本では、この手の席はガラス張りか、あるいはネットがご丁寧に張られているが、ここアメリカではもちろんそんな野暮なことはなく、オープンエアでフィールド風を感じながらビール片手に観戦できる。もっとも最近のアメリカの球場のビールの高さは尋常ではないが。3A以上だと1杯1000円は覚悟せねばならない。 第1回WBCの決勝の舞台となったサンディエゴの球場のレフトポール際に古いレンガ造りのビルがあったのを覚えている人は多いだろう。このペトコパークも郊外のフットボール兼用の球場から、ダウンタウンの中心部に移転してきた球場だが、建設の際、古いものをすべて壊すのではなく、上手く利用するのもアメリカだ。エルパソの球場にもこのアイデアは生かされていて、ライト側にある2棟の建物のうち、ポール側の建物はなんとかつての市庁舎だったらしい。この建物各階にもレストランが入っているのだが、その通路には、エルパソ・シウダーフアレス(メキシコ側の都市、テキサス・ニューメキシコがアメリカに「奪われる」までは、ひとつの町だった)の野球の伝統を伝える古い写真が飾られていた。 ネット裏のラグジュアリーシートの充実ぶりもすごかった。ホテルのロビーを思わせるエントランスにパーティー会場を思わせる飲食スペース。飲食が済んだらネット裏2層目の特等席で観戦できるという仕組みだ。 と言うわけで、余りの球場のすごさに、試合の方は、おろそかになってしまった。試合開始直後から雨が降り、4度目の正直もならずかと、ひやひやしたが、時折本降りになる中、9回まで試合は行われ、エルパソでの観戦を無事終えたのであった。
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