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Channel: 野球:海外/独立リーグ
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聖地べーカーズフィールド

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今、アメリカにいる。久方ぶりのユニオン駅。バスの時間に合わせて10時半に着いたが、ロサンゼルスからのバスは、午前便が満席、3時の便に乗るよう言われる。到着は6時過ぎとせわしなくなるが仕方がない。時間をつぶして、150キロほど北にあるべーカーズフィールド行きのアムトラックバスに乗った。アムトラックと言えば、全米に列車を走らせている旅客列車会社だが、この区間は州都サクラメントまでの線路がつながっているものの、山越えの線路はジグザグにうねり、並走する道路を使った方がよほど早いので、列車をあえて走らさずにシャトルバスを走らせているのだ。真夏に差し掛かろうとするカリフォルニア、西日はほぼ真横から差し込んできてまぶしい。山越えの切通しまではうとうとしていたが、セントラルバレーに出た途端、西日のまぶしさとその日差しの熱さに目が覚めた。窓越しには一面のブドウ畑が広がっていた。町には、予定より早い5時40分に着いた、50席ほどを8割方埋めていた乗客は、そのほとんどがそのまま接続の列車に乗り込んでいった。町外れと言っても、ダウンタウンの中心まで歩いて15分ほど。しかし、前夜宿をとった海沿いのサンタモニカの涼しい風とは違い、ここで待っていたのは熱風だった。予約をとっていたダウンタウンの端にあるモーテルに入ると、「一体この町になにしに来たんだ」とフロントで質問を受けた。今回の旅の主目的のひとつがこの町の球場で試合を観ることだった。この町の球場、サムリン・ボールパークは日本の野球ファンにとってある意味「聖地」と言っていいところなのだ。1995年4月27日、近鉄を退団し、ドジャースと契約した野茂英雄が、メジャーでの登板前にこの町を本拠としたベーカーズフィールド・ブレイズの一員として「アメリカデビュー」を飾ったのが、この球場だった。このブレイズは、昨シーズン限りでこの町を去り、代わりに独立リーグ最底辺のひとつ、ニューメキシコを拠点にするペコスリーグのトレインロバーズが移転してきたのだ。このリーグにも前々から興味を持っていたのだが、開催期間が5月末から7月いっぱいと短いせいもありなかなか足を運べなかった。今回、なんとか時間を作って、この町まで足を運んだのだ。前述の通り、予定より遅いバスに乗ったおかげで、球場到着が遅くなってしまった。試合開始7時45分に対して到着は6時半。モーテルから球場までは3キロほどあったが、幸いともに同じ大通りに面しており、モーテル前の停留所からバスに乗っていくことができた。球場前にはトレインロバーズの大きな看板が。間違いない、ここで野球があるんだと確信して運動公園内に入る。ここはプロも使うメイン球場の周りにいくつもの球場が居並ぶ、いわゆるスポーツコンプレックスなのだ。この施設は、地元少年野球も使用するようで、入り口にはバッティングセンターもあった。1ゲーム13球でなんと50セント!それも硬式。これはやらない手はないと腕試し。ここでの最速は70マイル(112キロ)。練習にもならないような剛速球はないようだ。とりあえず、それに挑戦するが、いかんせんスリッパ履きで来てしまったので、打ち損じが足に当たるのが怖くてついついバットを合わせにいく。しかし、そうするとこわごわ出したバットはどうしても詰まってしまい、手がしびれる。それなりに会心の当たりもあるが、軟式慣れしてしまったスウィングに愕然とする。って、こうもしていられない。メイン球場に足を運ぶ。試合45分前だが、ゲートは閉まっていて、球場には人っ子ひとりいない。メインスタンド前には数台の車が停まっている。その車から二人の女の子が出てきた。声をかけると、野球を観に来たという。この時間にゲートが開いていないことに不安げな表情を浮かべている。試合を観に来たらしい1台の車は去っていった。嫌な予感が走る。このクラスの独立リーグでは、リーグ休止や倒産は日常茶飯事だ。いくらんなんでも試合45分前に球場に誰もいないなんてありえない。不安げな少女を目にしながら、もう一台の車にいた家族連れの女性に声をかけると、少し安心できる答えが返ってきた。「いつもこんなもんよ。みんな来るのは試合前30分くらいだよ」選手は練習しないのかとも思ったが、さすが底辺リーグとも思ったので、とりあえずそのことを少女たちに告げると、彼女たちも少し安心したようで、別の車にいた母親に状況を知らせに走った。とりあえず、もう少し時間があるようなので、メイン球場の周囲を取り囲んでいた大小のサブ球場を見に行く。MLB傘下のマイナーの球場としては、最低ランクの設備を眺めながら日本のスーパースターがこんなところでアメリカでのキャリアをスタートさせたのかと思いを馳せる。試合30分ほど前にメインスタンド前に戻ってくると、車と人の数は増えていた。ほっとしたのもつかの間、球場入り口前で目にしたのは、待ちぼうけをくらっていた20人ほどのファンだった。先ほど試合開始を待っていた2台の車はすでになくなっていた。話題はもう今日試合はあるのということだった。私が、誰かチームのフェイスブックを確認したかと聞いたら、妙齢の女性が、さっき確認したわ、と答える。チケット売り場には何のインフォメーションもない。さすがに試合30分を切って、皆がおかしいと思った頃、球場内に人を発見したファンの男がフェンス越しに事情を聞いた。やはり試合キャンセルだった。球場の照明に不備があったらしい。「明日は、ダブルヘッダーなのか?」の問いにグランドキーパーらしき球場内の男に明確な答えがあるはずもなく、一同は肩をすぼめながら家路に着いた。アメリカではこんなことは珍しくもないようで、誰も声を荒らげることはなかった。いつくるかわからないバスを待つ気力も、灼熱の残る中、歩く活力もない私は、親子連れに頼んでダウンタウンまで乗せてもらった。「俺は日本から来たんだ。あの野茂英雄がデビューした球場で野球を観たかったんだ」と言う私に、運転していた親父は、「覚えているよ。まあ残念だが、ここはカレッジの球場もなかなかのもんだ」となぐさめにもならない言葉をかけてくれる。そのあとはしばし野球談議。よくアメリカには来るのかと聞かれ、昨年もイチローを観にフロリダへ行ったと言うと。高校生らしき子供の方が、「あれは誰だっけ、トロントにいた…」と言うので、あれはカワサキだ、日本に帰ってきてるよと答えた。どうも川崎の名はこのカリフォルニアにも轟いているようだ。少年は、「ダウンタウンって言っても何を食べるんだい?」と聞いてきたが、私は「ぶらぶら歩いて決めるよ」と答える。暑いけど大丈夫?と念を押す少年の声に父親が笑う。「大丈夫だよ」と市バスのトランジットセンターで降ろしてもらった私は、すぐ近くで見つけたメキシカンがやっているハンバーガーショップで夕食をとった。小さなハンバーガーショップにはオーナー家族の写真がいたるところに張られていたが、その中でもひときわ目立つ位置に飾られた数枚の写真はすべてサッカーチームのものだった。

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