この日も、メリダでのレオーネス(ライオンズ)とペリーコスとの試合。日曜とあって夕方6時開始の薄暮ゲーム。メキシカンリーグの試合開始時刻は、シエスタ(午睡)の習慣もあり総じて遅い。とくに地方では平日は8時開始というのが相場だ。土日はデーゲームの球団もあるが、ここユカタン半島は、日中の日差しは半端ではなく、人々も日が暮れてから動き出す。セントロ(ダウンタウン)の盛り場も日暮れから賑わいだす。 球場のことをもう少し説明しておこう。ここの球場の正式名は、「エスタディオ・ククルカン・アラモ」。ククルカンとは古代文明マヤの蛇神のことだ。
(メリダからアクセスできる世界遺産の遺跡、ウシュマルのククルカンのレリーフ)球場外壁正面にもそのレリーフがある。 アラモの方は、おなじみのレンタカー会社の名。ネーミングライツの波は、メキシコにも押し寄せている。というより広告を収入源に手法はメキシカンリーグが最先端と言って良く、もう20年前くらいから選手のユニフォームは広告で埋め尽くされている。 この日は、プロモーションで無料チケットが大量に配布されていたようで、ほぼ満員。1万2000人の大盛況。しかし、前日のように雨で試合開始が順延されることが当たり前ということもあり、ここでは試合開始直前まで観客はやってこない。試合開始直前はほぼ無人だった上層スタンドも、しかし、3回くらいまでにはほぼ埋め尽くされ、外野席が埋まったのは7回になってからのことだった。 外野には「ありがとう、オスワルド・モレホン」の看板が。シーズン途中の先月に引退を表明した選手で、引退とともにその背番号4が早速永久欠番になっている。地元出身の選手で、ながらくレオーネスで主力を張り、通算2000本安打を前に今年北部、トレオンのチームからトレードで復帰、ヒットを2010まで積み上げたものの、体力の限界を感じ、38歳の誕生日を前に先月末引退したらしい。彼はまた、メキシコのウィンターリーグ、リガ・パシフィコでも523安打を放っており、メキシコ野球一筋の20年の現役生活を全うした。 彼を記念して、前日は彼の背番号4を入れたTシャツが試合中スタンドに投げ入れられていた。メキシコではこの手のものは、関係者にもプレゼントされ、カメラマン席にいた我々も頂戴した。 ちなみにこの日も、プレゼントの投げ入れが行われていたが、敵方ベンチのボールボーイにも投げ込まれていた。傑作だったのは、それを喜んで手にしていた、少年にコーチが、「何をもらったんだ?」と見せてもらうや否や、そのTシャツを広げ、しばし見た後、汗だらけの顔をぬぐっていたことだ。少年はもちろん悲鳴を上げていたが、この手の「いじり」はメキシコでもあるようだ。 この日の試合は、今までにない投手戦となった。 レオーネス先発はキューバ人のヨアネール・ネグリン。 先に失点したのは、このベテランの方だった。
2回表のペリーコスの攻撃。5番セサル・タピアの打球は3塁戦へ。3塁手リカルド・セラーノが飛びついたが、ボールはそのグラブの先をかすめてレフト線へ。セラーノは納得がいかないようで、ファールゾーンに座り込んだまま両手を広げしばらく動かない。バッターランナーが2塁に達したところでようやく立ってベースに着いたが、それもそのはず、彼の後ろにいた3塁塁審はフェアの判定をしたが、主審は手を大きく広げていたのだ。しかし、監督の抗議も空しく、結局、フェアのまま試合は続行、続くイスマエル・サラスのライト前ヒットが出て、レオーネスは不本意な形でペリーコスに先制を許した。 ペリーコスの先発はヘンリー・ガルシア。昨年秋のプレミア12の代表選手だ。台湾での予選ラウンドの日本戦で先発し、3位決定戦の日本戦でも3番手として東京ドームのマウンドに上がっている。今シーズンはアメリカ独立リーグのラレドでスタートしたが、シーズン終盤になってメキシカンリーグにやってきた。前回大会のメキシコ代表は、リーグと野球連盟の折り合いがつかず、不参加さえもささやかれ、結局、二重国籍のアメリカ人が多数を占めるという「代表チーム」となったが、彼もまたメキシコとの二重国籍をもつアメリカ人。この秋のサムライジャパンとの強化試合にはまだ参加するかどうかわからないという。 この日は、6回2/3を2失点と先発の役割を十分に果たしたが、5回のコリー・ウィンブリーの一発に泣く結果となってしまった。(試合後ヒーローインタビューを受けるウィンブリー) この日も、レオーネスが2対1で辛くも価値、プレーオフに向けて順調な試合運びをした印象だった。
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