西本も今年で30歳。アスリートとして、第4コーナーに差し掛かっていることは十分に承知している。それでも、まだ体力面に関しては自信をもっている。大きな故障もいままでなかったという。「ウーン、そりゃ、若い頃っていうか、5年6年前に比べれば、ダッシュしても、(昔は)こんなに疲れなかったのにな、とは思うことはあります。けど、ようは1シーズン戦えればいいわけで。日本でなら60、70試合、アメリカなら100数十試合、それを乗り越えられれる体力さえあればいいですから」 だから、辞める理由は体力面に関しては全くない。 今シーズンは、昨年プレーした高知ファイティングドックスでスタートする。キャンプインより早く1月20日ごろには高知に入り、本拠地の越知町で始まるキャンプで8年目のシーズンをスタートさせている。2月の13日からは県内の黒潮町に移動し、その後、オープン戦が本格的に始まる。アメリカへ戻るかどうかは、3月に入ってから決めたいと言う。「球団とは去年、高知に戻ったときに、もうアメリカ行きの話はしています。その時には、アメリカ時代の監督さんから誘いがありましたから。去年はビザの関係なんかもあって行かなかったんで、その時も来年行くって、返事してましたから」 高知球団も、シーズン途中の移籍は容認の方向のようだ。チームの大黒柱に途中で出ていかれるのも困るが、「次へのステップ」を提供するという、自らの存在意義を自覚している球団は、西本の挑戦を後押しする考えだ。「球団には、初めて渡米したときにも、開幕をアイランドリーグで迎えて、それから行くことを許していただきました。今回も聞いたんですよ、そういう形でもいいですかって。もちろん、その時は、僕が「アメリカへ移籍」とかチームのプラスになる形で宣伝してもらって構いませんて。そういう話で」 日本よりシーズンの短いアメリカとの間を往復する独立リーガーは、今や珍しい存在ではない。アメリカでも、シーズン開始の早いメキシコでプレーし、7月いっぱいでレギュラーシーズンが終われば、アメリカやカナダの独立球団でもうひと稼ぎする「渡世人」は珍しくない。西本も5月から8月までアメリカでプレーし、その後アメリカで培ってきたものを、高知に持ち帰ってもいいのではないか。「確かに、そういう気持ちはあるけれど、それをあんまり言ったらわがままになるじゃないですか。ピッチャーなら言いやすいですけど。僕が戻れば、誰かが試合に出れなくなるじゃないですか。アメリカならそういうのは普通ですけど、日本じゃなかなかなじまないでしょうね」 確かにそうだが、西本には是非そういう新たな流れをつくってもらいたいとも思う。 プレー先を考えることも大事だが、「その後」に関しても、そろそろ考えねばならないことも西本は自覚している。「あと5年」。彼は自分の選手寿命についてこう言った。「はっきり決めているわけではないですけど、モチベーションの問題ですね。果たして10年後に独立リーグでプレーできるかっていうとそうじゃない。だからもしかしたら来年には辞めるかもしれませんし。今は、モチベーションが保たれて自分が進みたいという方向に進める限りはやっていこうと思っています。やっぱり気持ちが続くまでですね」 今年で独立リーガー8年目。一説によると、NPBの選手の「平均寿命」は4年だという。一部の主力選手を除く圧倒的多数の選手は、ものにならないと判断されるとその時点でお払い箱になってしまう。プロとはそういう厳しい世界なのだ。それを思えば、独立リーグではあっても、プロ選手として8年もプレーする西本も大したものである。10年という一区切りも手の届くところにある。その話に水を向けると、「実はいつ辞めてもいいんだ」と言っていた西本の表情が変わった。「そうですか。今8年目ならどうしても10年やりたいとは思わないけど、できるならやりたい気持ちにはなってきますね。でも、一方で、今すぐ辞めるかもしれない自分もいるんですが。いい話があればね。そのいい話っていうのは、他の仕事っていうことです。今は、やりたことないですけど、もし、なにか話があってそれをやりたいと思ったら辞めるかもしれないです。もちろん給料なんかも考えますけど。未練はないですね。今は、どうせやるなら野球に関係のある仕事って思いますけど、だからこうして野球を続けてますけど、そういう気持ちを打ち消すくらいの話があれば、それはそれでいいかなっていうのはありますね」 30歳、好きな道だけを突き詰めていける年齢でないことは、自身が一番よく分かっている。西本も、アスリートの宿命である「その後」を気にせねばならない年齢にさしかかっているのだ。 指導者になりたいと、彼は言う。一方で、家族を養っていかねばならないことも確かだ。その狭間で揺れながら、彼は今キャンプを送っている。「指導者っていうのは、ちゃんと給料もらってやる奴ですよ。サラリーマンしながら少年野球ってのも、それも考えないことないけど、やっぱりボランティアとかじゃなくて、ちゃんと報酬もらってプロとしてやりたいですね」 現実的には、独立リーグの指導者というのが、彼にとって最高のセカンドキャリアだろう。しかし、それも今すぐという気にはならない。「話があれば考えますよ。でも、今現役辞めてってなると二の足ふみますね。だってコーチなんか次の年にはクビになるかもしれませんから。それなら現役でプレーしたいですね。将来的にもう野球できなくなって引退っていうタイミングで話があればやりたいとは思います」 とは言え、独立リーガーとして現役を続けるにしても、指導者を目指すにしても、家族と離れての生活になることは間違いない。さほど遠くはない引退後は、家族とともに時間を過ごしたいとは思わないのだろうか。その問いに対しても、西本は「野球人」としてこう答えてくれた。「(単身赴任でも)大丈夫です。それは、野球にたずさわっているかぎり仕方ないですから。それに、今はすぐに会いにも行けるでしょう。連絡だって取りやすいし」 今、彼は家族と離れてシーズンに向けての調整をしている。そういう生活には、もう慣れたと西本は笑う。それが、プロというものだと言わんばかりに。
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