私は、今から10年ほど前、近隣の街にある古本屋をめぐって、戦前戦後を含む過去のプロ野球に関する本を買い集めていたことがある。 インターネットが急速に普及していたため、近い将来、本や雑誌がなくなってしまい、古本屋もなくなって、過去の資料がどこからも手に入らない時代が来るだろうと想定したからだ。 実際は、さほど書籍が急激に電子化されることもなく、本や雑誌はいまだ健在ではあるが、店をたたむ書店は増え、多くの新刊が電子書籍購入で済む時代になってきたことは否めない。 10年前にはまだ私は、バンクーバー朝日の存在を知らず、それを取り上げた書籍も見かけなかった。私がバンクーバー朝日の存在を知ったのは、今年に入ってからである。カナダのバンクーバーで結成された日系人の野球チーム「バンクーバー朝日」が創設100周年ということで、映画化もされた。 当時の状況から見ると、こうやって彼らの足跡が発掘されるのは、奇跡的でもある。 そういう経緯もあって、2014年12月公開となった映画『バンクーバーの朝日』を観てきたわけだが、重点を置いていたのは、当時の日系人の置かれた厳しい環境とそれを克服しようとがむしゃらに頑張る日系人の生活だった。そこに、バンクーバー朝日が日系人たちの唯一の希望となって輝きを放っていたのだ。 バンクーバー朝日は、カナダ最高リーグで最強を誇ったものの、第二次世界大戦開戦によってバンクーバー朝日は、解散を余儀なくされる。今、この映画が公開されたことで、集団的自衛権を認め、憲法九条を変えようとするなど、欧米の傘の下で欧米化を進める日本への警鐘がこもっているように見えてくる。事実上、自民党の一党独裁を選択してしまった国民が今こそ、見つめ直すべき歴史が描かれている。 映画になってしまうと、どうもそういった政治的なメッセージ色が見え隠れしてしまうのだが、私としては、「バンクーバー朝日」という最強の日系人野球チームをこうして世間に知らしめてくれた効果の大きさを評価したい。 第二次世界大戦が終わって70年が経とうとしている今、戦前の野球を経験したり、観たりした人々も、少なくなっている。あと10年、20年もすれば、記憶の中に残っている人はほとんどいなくなる。もはや、記録と伝説の中だけでしか語れなくなってしまうのである。 そうであるがゆえに、今は、戦前の野球を記憶と共に発掘できる最後の時代である。可能な限り、知られざる過去を発掘し、記録としてネット上や映画、書籍として残していってほしいものである。
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