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Channel: 野球:海外/独立リーグ
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KANO

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野球映画はヒットしないというジンクスがあるらしい。とはいうものの、過去には、日本のメジャーリーグブームの火付け役となったその名も「メジャーリーグ」(あの頃、巷はインディアンスの帽子であふれかえっていた)をはじめとする人気作品は結構出ている。それらと比べて、近年の野球映画は、社会派というか、単に野球をスポーツとしてとらえるだけでなく、野球を通してみた社会現象という視点で描かれたものが多いように思う。それにプラスして、国境を越えた視点で野球をとらえ、映し出しているものが多い。ここ数年の野球の映画を見てみても、『シュガー』(日本では未公開、残念)から見えてくるのは、野球を通じて形成されるアメリカとドミニカの経済的なヒエラルキーと、ドミニカを選手の供給地として取り込む資本のネットワークであるし、最近日本で公開された『ミリオンダラーアーム』からは、そのネットワークが、現在野球不毛の地であるインドにも広がりつつあることを示唆している。これまたこの春(だったけ)、日本で公開された韓国映画『ミスター・ゴー』もそのコミカル差の裏側には、野球選手にとって、このネットワークに取り込まれた韓国リーグが、富と名声への中継点に過ぎなくなってきていることを、語っている。そういう視点から見ると、あの『42』で語られるジャッキー・ロビンソンの不屈の精神とそれを支えるブランチ・リッキーの美談の裏側にも、実は、戦後の選手不足を黒人選手で補う必要性があった当時のアメリカ球界の事情が横たわっている。もちろん、これらの背景は背景として、それぞれの映画は、それぞれ野球好きにとって十分に感動できるものではあるが、これら近年の野球映画は、『フィールド・オブ・ドリームス』や『ナチュラル』で見られた、アメリカ人好みの家族愛でもなく、『メジャーリーグ』などの「がんばればできるんだ」という無邪気なほどの前向きさでもない、野球を通して社会を考えるというテイストが強くなってきているように思う。そういう流れの中にあるのだろうか。台湾発の野球映画『KANO』もまた、植民地時代に甲子園に出場し、準優勝した伝説のチーム、「嘉義農林」を主題にしている。まだ日本未公開(年明けに公開)ということなので、ストーリーを辿るような野暮なことはしない。日本の高校野球のかつての名選手に任せられた弱小チームが、日本人、高砂族(台湾の先住民)、漢人(中国系)という民族の境を乗り越え、栄光をつかんでいく様には感動させられること間違いない。また、ストーリーの端々に出てくる日本人技師により開通する農業用水路からは、単なる支配-被支配を越えた当時の日本人と現地の人々の関係がうかがえるし(といっても、これが日本による植民地支配を正当化するわけではないが)、それをより可視化させたものが、この映画の主題の野球なのだろう。 台湾だからこそできたこの視点だと思うが、過去の負の歴史が政治に利用されることが多い最近の東アジアにあって、政治とは別に当時の人々の間には民族を越えた「絆」が存在していたことを示したこの映画は貴重なものと言えるだろう。支配者の政治的意図とは別に存在した当時の台湾に確かに存在した民族を越えた嘉義という町に根差した人々のアイデンティティーとそれを醸成した高校野球という触媒がこの作品には、見事に描かれている。3時間という長作だが、見ていてその長さを感じることはない。厳然として存在した植民地支配と、強者の文化として普及する野球、そしてそれを民族をつなぐツールとして利用する人々と支配関係を越えた人々の絆、これだけのことを1作に詰め込むにはこれだけの時間が必要なことは、この作品を見れば納得がいくだろう。私にはアジア政治を語ることはできない。この映画を見て、ただ単純に「野球っていいな」と思い、当時の台湾の人々もそう思っていたに違いないことを感じた。そして高校野球を甲子園に見に行きたいと単純に思えた。余談になるが、今はなきメジャーの球場を再現した『42』と同じく、CGによって再現された昭和初期の甲子園球場とその周囲の様子も必見だ。

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